安藤の掃溜め

どこに投稿するかわからないものを投稿するために開設。飽きたら放置。

ブラックサバスの話がしたい

私は今、猛烈にブラックサバスの話がしたい。


そんなもん毎日Twitterでしているだろうと言われれば反論のしようがない。現に私は世界で1番トニー・アイオミについてツイートしており、20分毎に「アイオミ」と検索しては出てきたツイートに『いいね』している正真正銘のアホである。
不思議なのは、それでも取りこぼす情報があることだ。これについては各SNSに通知設定をしているのだが、どうも上手くいかない。私は世界で1番最初にブラックサバスの話題をキャッチしたいが、スマホの通知欄を埋め尽くすのはだいたいブライアン・メイInstagram更新通知だ。深夜3時に女子高生なみの頻度でSNSを更新する71歳には、世界中から「寝てください」というコメントが殺到する。


至極まれにアイオミのTwitter更新通知が紛れ込んでいるのだが、これもまたブライアン・メイの話題だったりして、紛らわしいことこの上ない。っていうかブライアン、アイオミのInstagramの投稿ほぼぜんぶにコメントしてる。律儀。
そういえばおふたりのツーショットにつけられたサバスのファンのコメントを意訳してみたところ、「尊い」「寿命が延びました」「生きる希望が湧きます」などという言葉が並んでいて、どこの国のオタクも似たようなことを言うんだなあと思った。


さて、私はいま、猛烈にブラックサバスの話がしたい。


なぜブラックサバスの話をしたいかといえば、その理由は明白だ。『音楽文』様へ真面目なエッセイを4つ投稿し、更にもう1本投稿用の文章を用意していて、更に学校の期末試験用に真面目なレポートを7本書き、加えて就活用の自己PR文章をいっぱいいっぱい書かされ、ついでに自己分析やら何やらに追われ、就活情報サイトからの大量のメールに頭を抱えているからである。ESって何だ。SPIって何だ。自己PRできることなんて、強いて言えば腹肉の具合がオジーオズボーンに似ていることくらいしか無い。


なんというか、とにかく自分の好きな物の話がしたいのだ。
私の通う大学の図書館には、オジー・オズボーンが歌っているブラックサバスのアルバムが、『ネヴァー・セイ・ダイ』を除いて全てある。『13』もある。しかも、紙ジャケである。これはインターネットで大学の存在を知った善意の人が、「この学校にはブラックサバスが必要だ」という言葉とともに寄贈してくれたものだそうだ。
どんな学校にブラックサバスが必要で、どんな学校には必要無いのか、その基準をぜひを問い詰めたいところだが、善意の人よ、本当にありがとうございます。ただ、借りたのは私だけだったようです。


まあ、私とサバスの出会い方は特殊である。善意の人が偶然に大学を発見し、寄贈を提案し、大学がそれを受け入れ、その大学へ私が入学していなければ、私はブラックサバスになかなか出会えなかっただろう。ただひとつ注釈を加えるとすれば、ブラックサバスというバンドの事は知っていた。知っていたと言っても「オジー・オズボーンはド変人」「トニー・アイオミは指の先を切断している」というWikipedia知識程度だったが、今から思えばそのことを知っているか知らないかで、音の聞こえ方もけっこう変わっていただろう。


音楽は知識が無くても楽しめる最大の娯楽だ。しかし、ちょっとした知識があるともっと楽しくなる娯楽でもある。特に初期のブラックサバスのような、ファンでも「癖が強くて聴きにくい」と思っているバンドだと、ただ「これめっちゃ良いから聴いてみて!」とCDを押し付けて勧めてもピンとこない人が多いわけで、それ故に本気で『布教』したければ、様々な作戦を使う必要がある。


私は常々、「みんなどうすればもっとブラックサバスを聴いてくれるのかなあ」と考えている。
何故そんな事を考えているかなんて、「21歳女子大生、好きなバンドはブラックサバス」という情報だけで察してほしい。あ、でも学校の中に4人くらいは『ピート・タウンゼントのジャンプの飛距離について』という話題だけで小一時間議論できるような友達がいます。皆様、日本の未来は明るいです。
クイーンみたいなバンドは良い。YouTube公式に何百という動画があり、莫大な資料があり、言い方は悪いが、放って置いてもファンが増える。それなのにあんな面白い映画まで作っちゃったらもう誰も止められない。まったく映画というのは制作費用が莫大にかかるものの、一発当たれば超巨大な広告媒体である。

いやあそれにしても、クイーンみたいなバンドは良いよね。『良い物を作るためならば事実や時系列を変更しても構わない』なんて、なかなかできる決断ではない。今後この手の伝記映画を作るときは是非ともその姿勢を見習ってほしい。
あ、そういえばあの映画。フレディのデビューライブのシーンで、観客のエキストラの中にトニー・アイオミとギーザー・バトラーそっくりな人がいます。まだお気づきでない方はぜひ探してみてください。ギーザーはマジでそっくりです。


だが、ブラックサバスはクイーンではないわけだ。1990年代後半に生まれ、家族がロック好きでもなく、至極普通の生活を送って来た若者がブラックサバスに出会う機会なんてそうそう無い。テレビで特集を組まれるわけでもなく、雑誌が初心者向けの企画を組むでもなく。ロックに興味が出て紆余曲折の後にたどり着く人や、『ジョジョの奇妙な冒険』を読んで聴き始める人(この層の厚さはけっこう馬鹿にならない)はいるけれど、クイーンにあるような「テレビでよく聴くこの曲のアーティストってクイーンっていうのか。聴いてみよ」系の出会いがブラックサバスにあるかと言えば、ノーコメントという他無い。

聴いてみれば「あれ? どこかで聴いたような気がする!」となるバンドではあると信じている。注意深くテレビのBGMに耳を傾けていると、週に1度くらいはサバスが流れている。ブラックサバスを全く知らない人でも、『パラノイド』や『アイアン・マン』くらいは聞き覚えがあるんじゃなかろうか。まあクイーンやビートルズは日に5度くらい流れてるけどさ。


でもって前述の通り、楽曲は聴きにくい。ディオ期以降は聴きやすいが、私が聴いてほしいのはオリジナルサバス、つまりオジー・オズボーンが歌うブラックサバスだ。オジー期のサバスは本当に癖がある。「不協和音の暴走特急」とかなんとか言われていたそうだが、最近改めて聴いて、確かに不協和音だらけでちょっと笑った。ほんと、売れるバンドって奇跡的なバランスで成り立ってる。


加えてブラックサバス、薬物のイメージが強い上に、音楽も怖ければ見た目も怖い。しかもオジーのことを調べると、コウモリを食っただの鳩を食っただのとんでもないエピソードがわんさか出てきて、とってもとっつき辛い。知人の1人など、「オジー・オズボーンってテレビに出して良い人なんですか?」ときいてきた。アメリカのお茶の間じゃ芸人扱いなのだが、まあ確かに言われてみれば彼、日本のテレビには出れない気がする。昔出てたけど。


さて、そんなブラックサバスをどう『布教』するべきか。

 

正攻法、つまりCDを押し付け、「ただ聴いて!」と言うのは、得策ではないと思う。サバスほどファーストアルバムから順に聴けば良いバンドというのも少ないが、あの伝説的なファーストアルバム、初心者向けとは到底思えない。
いや、素晴らしいアルバムだよ。本当に。選曲も良いし演奏も抜群で、サウンドバランスなんか「これぞまさしくブラック・サバス!」という感じ。煙草と工場の排気で濁ったような空気感がたまらない、いかにもな労働者階級のブルースに、怪奇小説の味付けをした名盤だ。


だが、クイーン系の美しく洗練されたサウンドに耳が慣れた人にとって、初期サバスはめちゃめちゃ聴きにくい。小細工なしの直感的ヘヴィロックは衝動と破壊力だけでできている。それが1970年の若者の心に響いたのは確かだが、今は2019年。同じように響くかといえば、微妙なところだ。


あと、ジャケットめちゃめちゃ怖い。これも地味に問題だ。水車小屋の前に不気味な女性が佇んでいるあの有名なジャケットは、アルバムの内容には合っているものの、部屋に飾っておきたくないタイプのアレだ。怖くてあんまり触りたくない。触りたくないようなジャケットデザインのアルバムを聴くハードルってめちゃめちゃ高い。始めて図書館で借りた時、司書さんもちょっと引いてた。
っていうかあのアルバムジャケット、10年ぐらい前に某匿名掲示板の「3回見たら呪われる画像スレ」で見た。ジャケットを3回見ても呪われはしなかったが、アルバムを3回聞いたらファンになったので、あながち嘘でも無いかもしれない。


では、どうするべきか。
私は他人にブラックサバスを勧めるとき、楽曲の話をしないようにしている。
可笑しいでしょう? でも、それで結構成功する。


まず話すのは、「ブラックサバスは怖くない」ということだ。
サバスのアルバムには大仰な解説や煽り文句がついているが、実際のところ、サバスは本国イギリスにおいて、非常に「愛すべきバンド」という扱いを受けている。デビュー記念日の2月13日を「サバス記念日」にしようという運動や、最近ではバンドの地元バーミンガムに『ブラックサバス橋』ができた所からも、その愛されっぷりがわかる。っていうかバーミンガム、すっごいサバス推して来る。たぶんブラックサバスの映画ができるとしたらバーミンガムがスポンサーになると思う。
サバスのライブ映像を観てみると、演奏しているメンバーも、それを観ている観客も、みんな笑顔で楽しそうにしている。あと、けっこう女性ファンが多い。サバスのファンは男性ばかりというのは、日本の音楽評論家の作ったイメージである。
ちなみに英国のサバスオタクたちには、ファーストアルバムのジャケット写真の撮影地を訪ねる定番があるらしい。


というかまあサバスって、どんなに真面目な曲でも、間奏になると真っ白い尻をぽろんと出すオジー・オズボーンがヴォーカルをやっているバンドだ。この間トニー・アイオミが「俺がソロ弾いてるときに騒ぐな」とオジーを叱り、叱られたオジーが憤慨していたが、ライブ映像を見るとアイオミの怒りはごもっともだと思う。ギターソロ中のオジーめちゃめちゃうるさい。


メンバーのヴィジュアルは怖い。確かに怖い。1970年のライブ映像には暗がりでニヤッと笑うアイオミの姿が映っているのだが、長い前髪と豊かすぎる毛量のせいで表情がほとんど見えず、闇の中にニヤニヤ笑う白い歯だけが浮かび上がっていて、もうめちゃめちゃ怖い。平素は右往左往するオジーと闇に沈むアイオミに気を取られて気付き辛いが、ギーザー・バトラーの動きも変だ。露骨に色々キマってる。

ファンは音楽につくものであるが、おっかない見た目の人がやっている音楽は大体おっかない。おっかない人がおっかなくない音楽をやっているパターンにキッスというのがいるが、あのバンドはそれも戦略である。そういう意味で、ブラックサバスは見た目通りの音楽をやっていると言える。


しかしサバスは愛すべきバンドだ。おっかない音楽が好きな人しか聴かないバンドにしてしまうのはもったいない。


実際のところ、サバスで一番クールかつ怖く見えるアイオミは、そこまで怖い人でもない。ファンの呼びかけに気取ったウィンクで返すような人だ。高所恐怖症でお化けが苦手。趣味はお散歩。犬には挨拶をせずにいられない、そんな人である。親友のブライアン・メイが隣にいるとずっとニコニコしている。フレディ・マーキュリー追悼コンサートの時のアイオミの楽しそうな雰囲気といったら無い。
対してオジー・オズボーンは、見たまんまだ。オジーの自伝を読むと、みんながイメージしていたオジー・オズボーンがまさにそこにいる。自伝を出したら「イメージが崩れた」と言われたアイオミとは正反対である。
というか自伝を読んだファンに「イメージが崩れた」って言われるアイオミ、なんだかすごく可哀想だ。確かに「このひと意外とのんびりしてるタイプだな……」とは思ったけどさ。

ビル・ワードは割と常識人だ。ズボンを履き忘れたから奥様の赤いタイツを借りてジャケット写真を撮った人を常識人と言うかはわからないが、常識人だと思う。ちなみに、救急車を見かけると「ビル用だな」と叫ぶのがブラックサバスの定番ジョークらしい。ただ実際、ビルはスタジオやライブ会場から2回救急搬送されているわけで、笑えねえジョークである。
ギーザー・バトラーはアイオミら曰く「宇宙人みたい」だそうだが、どのへんがそう言われる理由なのかはよくわからない。よくアイオミに顔を引っ掴まれている写真を見るから、多分顔の掴み心地が良いのだろう。そのくらいの事しかわからない。
彼は最近、インタビューで「部屋にサタンが遊びに来てさあ」みたいな事を言っていたが、まあギーザーが言うんだから本当なのだろう。


アイオミとオジーの自伝に描かれるサバスの若き日々は、まるでコメディ映画の世界である。裸で野外を疾走したり、ホテルの廊下で花火をぶちかましたり、レストランで店員も一緒になって料理を投げ合ったり、ビルに放火したり。個人的に好きなエピソードは、臭いがキツいらしいビル・ワードの靴に、アイオミが植物を植えた話だ。実に下らない。下らない上に意味がわからない。
お互いにイタズラを仕掛けまくった挙句、イタズラの餌食になる恐怖で全員が不眠症になる話もあった。ビルの部屋にサメを投げ込む話もあったが、動機は何だ。いや、動機なんて明白だ。「釣れたから」。それしかない。


おんぼろのバンに機材を詰め込み、あっちでライブがあると押しかけ営業へ、こっちでライブがあると押しかけ営業へ。喧嘩が起こるとアイオミが拳で治め、演奏すれば会場から女の子たちが悲鳴を上げて逃げ出し、電話ひとつかけるだけで大爆笑。現代から見れば酷い青春時代だが、それを語る当人たちの言葉は本当に楽しそうで、そんな青春を共有できる仲間の存在が羨ましくなってくる。
髭面の、楽器を持った青年たちが4人。クイーンのように知的ではなく、レッドツェッペリンの起こりのように戦略的でもなく。生と死の間の10代を謳歌したブラックサバスは、泥臭く逞しく、その音楽を磨き上げて行った。


ブラックサバスのファーストアルバムは、そんな4人の青年が、アイオミが引っ掛けた女の子の鞄を漁って食い繋ぎつつ、たったの48時間で必死に作り上げたアルバムだ。演奏は実質的にライブ録音。音から感じられる気迫が凄まじいけれど、それは限られた時間の中で、極限まで集中して作っているからである。
労働者階級の彼らは、音楽で成功しなければ一生の大半を工場のベルトコンベヤーの前で過ごす事になる。焦りと不安と、世で流行する能天気なラブソングに対する反感は、恐怖と威圧感を与える音楽へ昇華され、労働で失った指先の痛みを音に添えて、1枚のアルバムに仕上がった。純粋なラブソングなんて無い。特別な技巧も、小細工も、コーラスも無い。力強いリフと遠慮のないベース、音程が不安定な、しかしやけに表情豊かな歌声。重たく手数の多いドラム。それだけが存在する。聴き辛いことは確かだが、ブラックサバスのファーストアルバムとは、1960年代の英国という『時代』が作った、水底の濁りの具現化なのだ。社会の淀みそのものだから、聴き辛くて当然なのである。


ブラックサバスのファーストアルバム『黒い安息日』は、とても不気味なアルバムだ。ジャケット写真は怖いし、曲も薄気味悪く、正体がわかりにくい。しかしその恐ろしい音楽の裏には、イタズラ好きな4人の青年の輝ける青春と、未来に賭けた希望そのものが詰まっている。
もしあなたがこのアルバムを「初めて聴く」という贅沢な体験をこれからするならば、仕上がったアルバムを手に取った若きバンドの面々の「凄いものを作ったぞ」という純粋な喜びを、原始的な恐怖に塗れたサウンドのどこかに感じてほしい。


聴くならばできれば深夜だ。深夜、家族が寝静まった頃。イヤホンをそっと耳につけ、布団に潜って聴くと良い。上等な機材でレコードを再生する必要なんてない。彼らの生きた時代、彼らの青春、瓦礫とホコリと工場の煙に塗れた工業都市の、どんよりと曇った風景。そんなものを想いながら目を閉じて、大きな音で聴いてほしい。細微な音の絡み合いと、このメンバーでしか作り上げることができない不思議なサウンド。小細工のない瑞々しい録音は、きっとあなたを1970年代のバーミンガムへ連れて行ってくれる。


さて、何の関係があるかはわからないが、最近「クイーンの影響でブラックサバスを聴き始めた人」というのをちらほら見かける。クイーン人気が高まったタイミングでアイオミがインスタグラムにアカウントを新設し、その投稿第一弾がブライアン・メイとのツーショットだったことは大きな影響力があったことだろう。

あのアカウント、現在はスタッフが手を加えているようだが、ごく初期は自撮りっぽい絶妙なアイコンで、なぜかブライアンのファンの一般人をフォローしてたりもした。ちなみにファンは「これブライアンメイ観察用アカウントなんじゃないか?」と冗談を言っているが、インスタグラムを始めたのは十中八九ブライアンに勧められたからだと思う。
海の向こうの素敵なおじさまたちが仲良くスマホを弄っている様子なんて、彼らがロックスターであることを考えずとも、なんだか心が和む話ではないか。


アイオミとブライアン・メイの共作は何年か前から噂になっており、この間のアイオミのツイートを見るに、実際に作業はしているようだ。それが世に出るころには、ライナーノーツの端っこにコメントを書けるくらいのライターになりたい。
そんなことを考えながらアイオミのTwitterのコメント欄を眺めていたら、「おふたりのコラボだと『ブラック・クイーン』になるの?『クイーンズ・サバス』になるの?」というコメントが幾つもあった。
どこの国のオタクも、似たような事を考えるものである。


余談だが、インターネット上には「トニー・アイオミが、サンタ帽をかぶったデカい犬を撫でつつ、カメラに向かってクリスマスメッセージを喋る動画」というものがある。ブラックサバスに怖いイメージしか無いという人は是非ともこの動画を見て癒され、サバスの演奏も楽しんでほしい。