安藤の掃溜め

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War Pigs 分析と解説

  1. はじめに

 『War Pigs』は1970年、ブラックサバスの2ndアルバム『Paranoid』の冒頭に収録された1曲である。当初は題を『Walpurgis(魔女)』として、アルバムのタイトルナンバーとする予定であったが、あまりに過激(?)ということで発売直前に待ったがかかり、「もうパラノイドにするしかない」というかなり大雑把な理由で、急遽2曲目の『Paranoid』がアルバムタイトルに採用された。ブラックサバスの作詞担当は、他メンバー曰く「インテリ」のベーシスト、ギーザー・バトラーであり、この曲でも例外ではない。作曲者のクレジットにはメンバー全員の名前が記されているが、これはブラックサバスのメンバーが、全員でセッションをしながら曲を作っているためである。

 ブラックサバスは1968年に結成されたバンドで、2017年に「体力の限界」という理由から解散するまで、約50年の間、メタル界を牽引し続けた。彼らはデビュー当時から、暗く重く、保守的ながら斬新な独自の音楽性を評価され、「全てのメタルの祖」として、特に欧州メタルのシーンではメンバーごと神格化されているといって過言ではない。中でも初代ヴォーカルのオジー・オズボーンは「闇の帝王」などと呼ばれ、半ばアイドル扱いである(これは彼の奇行とキャラクター性も大きく影響していることだが)。

 メンバーは1978~97年まで入れ替わりが激しかったが、再結成後はオリジナルメンバーで活動しているときのみ、「ブラックサバス」と名乗ることができる契約となった。このため、同じバンドでもロニー・ジェイムス・ディオがヴォーカルを取ると「ヘヴン&ヘル」と名乗らなければならない現象が一時期起こる(なお、ディオは過去にブラックサバスへ在籍していたメンバーのひとりであり、ブラックサバス名義で多くの曲を録音している)。

 オリジナルメンバーはオジー・オズボーン(V)、トニー・アイオミ(G)、ギーザー・バトラー(B)、ビル・ワード(D)の4名で、結成当時から解散まで一貫してアイオミが音楽的な中心を担当していた。バンドメンバーの全員が労働者階級の若者であることは当時として珍しい事ではなかったが、その中でもブラックサバスのメンバーたちは、アイオミの回想曰く「掃きだめのような連中」であった。特にオジーは識字障害と発達障害を持ち、生活苦から強盗をして服役した経験もあり、アイオミは勤務先の工場での事故で右手中指と薬指の先端を切断していた。そんな彼らの船出は決して幸先のいい物ではなく、しかしこの「底辺っぷり」こそが、ブラックサバスが後に神格化された理由の一つでもあった。ただし演奏技術は結成当時からかなり高く、地元バーミンガムでは演奏の巧さから既に名の知れていたアイオミが在籍していたため、それなりに注目されていたことは留意されたい。当然ながら、ただ奇抜で設定に特徴があるだけでは、バンドは50年も続かないものである。

 ブラックサバスのメンバーたちには基礎的な楽典知識がほとんどなく、和声や楽典的側面で評価されている部分に関しては、メンバーも戸惑いを感じているようである。そのため以下に記述する分析はあくまで音楽的な視点から見たものであり、本人たちの意図したところではないことを始めに明記する。

 

 

 

 

 

※本来のレポートにはここに歌詞の全文と独自の和訳、楽曲構成を一覧的にまとめたものがありましたが、公開すると著作権的にかなり微妙なラインなので掲載を控えます。ご了承ください。

  1. 解説

 歌い換え部分はオジーのその日の気分や調子によって位置が変わるため、どこの部分の歌詞と交換されるかは不明。おおむね最後の方に置かれるが、ライブによっては冒頭から歌詞が違い、同じ歌詞を繰り返すこともある。歌い換え部分のほうが古い歌詞で、それが表現規制に遭い、アルバム用の歌詞が後からできた、ということらしく、確かに歌い換えの方は若干言い回しが過激である。

 楽式は大まかにA-B-Aで二部形式。タイトルの『War Pigs(戦争の豚ども)』からもわかるように、この曲はかなり過激で直情的な反戦歌だ。当時の反戦運動のアイコンにされたフォークソングやロックンロールは知的で暗喩的なものが多かったが、これはその真逆である。

 この曲は1970年頃、アメリカの地を初めて踏んだブラックサバスのメンバーたちが、ベトナム戦争への強い批判の思いを書き綴ったものだ。かなり破壊的な歌詞だが、全体を支配するのは平和への祈りではなく、権力に対する皮肉とやや教訓的な脅迫である。これはブラックサバスのメンバーたちが元より階級社会のイギリスで、最下層とされる労働者階級の若者たちであり、権力者へ不快感を抱いていたこと、そして、イギリスの若者であるが故にベトナム戦争がやや他人事であったことが影響していると思われる。

 また、ブラックサバスはアンチ・ビートルズの潮流の中で評価されたところがあり(ただしメンバーはビートルズを敬愛している)、1980年代に入るまで、愛や平和を歌う歌詞は基本的に書いていなかった。これはブラックサバスを受け入れた聴衆たちが、流行しているロックンロールの「明るく軽い」テンションに共感できない層だったから、というところもある。

 どんなに流行した音楽でも、それに違和感を持つ層というのは必ず存在する。ブラックサバスが出現した時、その重く暗い音楽性と、労働者階級の冴えない若者たちのキャラクター性に最も共感したのは、ブラックサバスのメンバーたちと同じような、労働者階級の冴えない若者たちであった。彼らは流行の主となった恋愛や人間関係を歌うロックンロールには共感できず、銃口に花束を挿すような反戦歌よりも、銃を持つ人間を殴り飛ばすような反戦歌を求めていた。そして彼らの理想こそが、ブラックサバスの歌う反戦歌、『War Pigs』だったのだ。

 

【イントロ】

 イントロは6/8拍子、ほとんど同じ4小節のメロディが遅く重く4回繰り返される。非常に緩慢かつ重厚なギターのパワーコードが鳴り響く中で、ジャズ風のドラムにベースのメロディが絡む。注目すべきは独特のリズムのズレで、ベースとドラムが明瞭な6/8拍子で演奏しているのに対し、ギターはほぼ4/4拍子(あるいは2連譜)で動いている。

 このイントロは、冒頭から深くフィードバックのかかったギターの重く暗い音色を除いてしまえばジャズのようにも聞こえるが、これはブラックサバスがジャズとブルースのバンドとしてスタートした影響があるだろう。ただし地響きのようなギターは、とてもジャズやブルースには聞こえない(アイオミのギターは弦がバンジョーのものに張り変えられ、かつチューニングが曲によって1音半~4音半下げられている。これは切断事故に遭った指先が弦に触れる痛みを軽減させるためである)。

 スタジオ版では3回目のメロディの繰り返しから空襲警報のサイレンが鳴り始めるのだが、近年のライブ版ではまず大音量でサイレンが鳴り渡り、その後から曲が始まる。この曲はライブの冒頭に置かれることが多く、照明が落ちてからサイレンが鳴りはじめ、ギターの爆音とともに明転するという登場演出が度々なされた。

 ブラックサバスの楽曲はイントロのメロディがそのまま曲の全体を支配するメインリフになることが多いのだが、この曲ではイントロがそれ以降のメロディに一切使われていない。アルバム中に同一の特徴を持つ曲は僅かに2曲のみで、それ以前、それ以降を見ても全体の1/3以下である。

 このイントロは非常に厳格で落ち着いていながら、ギターを伴奏にドラムとベースがメロディを奏でるという力関係の逆転を用いて、聴衆へ異常性をひしひしと感じさせる作りになっている。叩き割らんばかりに打ち鳴らされるドラムと、それに対して無機質なベースはまるで焼け野原の光景を象徴しているが如く、ビブラートのかかったギターの荘厳なパワーコードは、悪魔が翼を広げて死体で埋め尽くされた大地の上を飛んでいる様子に聞こえる。

 

【メインリフ~Aメロ(1番歌詞)】

 4/4拍子。テンポはおおむね?=154ほどで、イントロの約3倍にもなる。ここにきてギター、ベース、ドラムがユニゾンになり、たった2音のみの破壊力に満ちたリフが、それまで流れていたイントロを前触れなく打ち砕く。この急激な転換は、言うなればブルースからメタルへの突発的な進化である。

 このリフはメインリフ(2音の上行のみのリフ)と、メインリフ+α(2音の上行の後、主音から完全4度上へ跳躍し、そこから半音階で主音へ下行するリフ)に分けることが可能で、歌の入る前にはメインリフ、歌の入った後にはメインリフ+αという形で展開されて行く。メインリフの場合はユニゾンの後に15拍のハイハットの刻みが入って緊迫感を演出し、メインリフ+αの場合は上行形と下行形の間の5拍程度の隙間に弾丸のようなドラムソロが挿入される。このドラムソロは曲中に12回あって、全て違う音型が展開される。なおこのドラムは毎回即興で演奏されているが、おおむね機関銃の発射音や地雷の爆発音など、戦地に響く様々な音を模写している様子である。合間合間にギターが「遊び」を入れているが、アドリブではなく固定音型。

 Aメロは前半、後半で1回ずつ歌われるが、歌詞以外の差異はほぼ完全に無く(ライブだとアドリブで少々変化することがある)、そのメロディも同一の8小節のメロディが4回繰り返され、最後にシャウトが入るのみで、実に単純なものである。ヴォーカルの伴奏はハイハットのみで、ギターとベースは休符になっている。

 さて、このメロディには注目すべき特徴がある。この部分のメロディは主音から4小節でオクターブ上に上行し、次の4小節でオクターブ下行するという形なのだが、上行形と下行形で音階が異なるのだ。まず上行形では、音階の第2音-3音が長2度かつ導音が欠落しているためにミクソリディア旋法となり、しかし下行形では第3音のシャープが外されてごく一般的な短音階となる。これは実に興味深い。何故ならば『War Pigs』の題材はベトナム戦争、つまり東南アジアの国の争いにアメリカが参入した戦争であるからだ。

 ミクソリディア旋法は東南アジアの民族音楽によく見られる旋法である。そのアジアンチックな響きは曲へ意外性を生むとともに、聴く者へ東南アジアの風景を想起させ、そして『War Pigs』というタイトルから、この曲の「War」がベトナム戦争であるということを意識させる効果がある。また下行形では西洋音階を用いることによって、「東南アジアの国と欧米諸国のせめぎ合い」を楽典的に表現しているのだ。尤もメンバーが音階を意識したとは考え辛く、これは単なる偶然であろう。だが、言われてみればそうなっているのである。

 歌詞は戦場の光景を叙事的に歌ったものだ。戦争というある種の集団ヒステリーを『魔女の夜宴(この部分は直訳すれば「黒い群衆」だが、原題の「Walpurgis(魔女。Walpurgis Nightで「魔女の夜宴」)」から考えるに、黒い群衆とは黒ミサに集う人々のことである)』に喩えつつ、最後に神を呼ぶそれは、実に皮肉が利いている。この「おお神よ!(Oh Lord, Yeah!)」の後に続く言葉は「これがあなたの作った世界かよ!」なのか、はたまた「あなたの救いの手を差し伸べてください」なのか。それは聴衆の判断に委ねられる。

 まあ実際のところはどうかと言うと、作詞者のギーザーは熱心なクリスチャンで宗教・動物愛護的ヴィーガンであり(そしてとんでもないオカルトマニアでもある)、彼の意図では「救済を求める叫び」だったのだと思う。しかしヴォーカルのオジーは冒涜的な人物というイメージがあり、彼の歌唱では「創造主に対する非難の叫び」という意図を感じさせる。

 

【リフ2~Bメロ(2番歌詞)~リフ3】

 テンポ、拍子は前項と同一。非常に小規模な音数で構成されたリフで、ヴォーカルが入ってからも、ほとんど同じ2小節のメロディが偏執的に繰り返される。この部分はヴォーカルの主旋律がミクソリディア旋法で、ギター、ベースの伴奏が一般的な短音階である。シンコペーションを多用した主旋律と、ザクザクとした正確な刻みが特徴の伴奏とは複雑に絡み合い、がっちりと噛みあうことは無い。

 Bメロは完全4度の跳躍が何度も繰り返される、朗々としてどこか牧歌的なメロディが特徴。だが、伴奏と主旋律の音程が長2度でぶつかる所が多く(歌い出しから1小節はほぼ全部の音がぶつかっている)、不安定さと不穏さが漂う。

 この音のぶつかりと不協和音の多さ、そしてギターの過度な歪みから、最初期のブラックサバスは「不協和音にまみれた騒音」と酷評される事も多かった(ギターの音の歪みは指先の怪我のために仕方がないのだから、容赦してほしいものだが)。しかし後から聞けばこの不協和音の使い方は秀逸だ。ブラックサバスの曲はとにかくショートフレーズの繰り返しが多く、メロディラインだけを抜き出して流すと、すぐに飽きがきてしまう。だからこの曲では、単純な繰り返しの中で唐突な不協和音を作ることにより、曲へ意外性と変化を持たせているのだ。

 そんな複雑な音楽とは裏腹に、この部分の歌詞は実に直接的な政治的メッセージだ。あまりにも素直な言葉で書き綴られているためにもはや説明は不要だが、歌い換えの「People running like they're Sheep(deep?) in fields(人々は羊の群れのように戦地を駆けて行く)」という部分は、戦地を駆ける兵士やゲリラ軍たちを羊に喩えている他に、「Sheep in fields(牧場や牧草地を意味する)」という表現を用いることによって、人々の生活が戦争によって破壊されていく様を表現している。なお、この後の歌い換え部分の歌詞は英語を母国語とするリスナーにも上手く聞き取れない様子である(オジーは非常に訛りが強いことでも有名)。

 Bメロが終わり、メインリフ+αが終わると、3つめのリフが出現する。リフ3は曲中で唯一明瞭にミクソリディア旋法が用いられたリフで、ギターは小節間を跨いだ複雑なシンコペーションを奏で、そのまま短調のソロ(ライブ毎に即興)へ流れ込む。ベースは主音、属音、主音(オクターブ上)、つまり完全音程を単純な8分音符の連続でひたすら繰り返す。ギターソロの部分へ入ると、ベースはギターへ張り合うように複雑怪奇なメロディを奏で始める。

 『War Pigs』におけるギターソロの扱いは独特だ。一応そこは「ギターソロ」であり、アイオミが主役であることは確かなのだが、ベースのギーザーとドラムのビルが伴奏に徹することは無い。むしろ積極的に「遊び」を入れてくる。これはブラックサバスの他の楽曲にはあまり見られない特徴で、鬼気迫るアンサンブルが聞きどころだ。

 ミクソリディア旋法のアジアンテイストかつ明るい響きを一気に破壊する短調のソロ。これは平和なベトナムの日常風景が戦争によって破壊されて行く様を視覚的に表現しているようで、どこか生々しさを感じさせる。ミクソリディア旋法のリフはソロが終わった後にも一瞬だけ現れるのだが、それはベースの先導でメインリフへと飲み込まれ、消えてしまう。

 

【メインリフ~Aメロ(3番歌詞)~リフ4】

 メインリフが流れたあとは再びAメロになり、3番の歌詞が歌われる。参考動画として挙げた1970年パリの演奏ではここで歌い換えの歌詞が挿入されている。メロディは1番と全く同一なので、ここでは歌詞に注目したい。

 アルバム版の歌詞では、ここで初めて「War Pigs」という表現が用いられる。これは利益のために戦争をする政治家を「豚」と罵ったものだ。「黙示録に描かれた裁きの日がやってきて、戦争に齧りつく豚たちが神の手によって裁かれる。彼らは這いつくばって神へ許しを請うが、既に悪魔は彼らを地獄へ連れて行くため、翼を広げている」。要するに「奴らの悪事は神様が見ているから大丈夫だ」という事で、キリスト教徒のギーザーらしい歌詞である。ただ、キリスト教徒ではない我々からすれば「本当にそれで良いのか?」という所はあり、どちらかといえば歌い換えの歌詞の方がしっくり来る者が多いだろう。

 歌い換えの歌詞は原題『Walpurgis』に準じたもので、「ワルプルギスの夜」というヨーロッパの伝統行事(おおむね5月頃)に引っ掛けて書かれている。この行事では大きなかがり火が焚かれることが多く、そのために「薪」や「炎」という単語が出現する。また、元の歌詞とアルバム版の歌詞では、戦争を起こした人間たちを裁くのが「魔女たち」から「神」へ変更されている。この変更は、デビュー当時のブラックサバスが悪魔信仰のバンドと「勘違い」されていた事とも関連があるだろう。ブラックサバスは当時、聴衆によって自分たちに付けられた悪魔信仰、魔女崇拝のイメージを払拭しようとしていた。実際にはそんな信仰をしていないにも関わらず、聴衆の思い込みによって様々な嫌がらせや、追放運動をされていたからである。

 歌が終わるとメインリフ+αが一度流れ、4番目のリフが出現する。リフ4はリフ2の変形で、同じく跳躍を特徴とするが、「ギターのブレイク~3人のユニゾン」を4回繰り返し、その後に伴奏が入ることによって、同じメロディが連続するだけのリフへ「縦の流れ」と「横の流れ」という変化を作っている。伴奏が入ったあとの8小節は主調。しかしその次からは4小節ごとに調が下がる(主調がe:ならばe:→d:→c:)。これはまるで高い空から何か大きなもの、つまり神や天使が降りてきている様子を表現しているようなメロディだ。

 このリフ4はいわゆるアウトロの部分にあるので、終止形さえつけてしまえば曲はここでも完結できる。しかしこの『War Pigs』で最も肝心なリフは、リフ4が終わったあとに現れる最終リフだ。

 

【最終リフ~アウトロ】

 リフ4がドラムのフィルインによって掻き消えた後、曲調は突然、8小節もの大きなフレーズを持つ、抒情的で疾走感のあるメロディへ展開する。この最終リフへ至るまで、スタジオ版では既に6分半が経過。繰り返される短く単純なリフと不協和音、過激な歌詞によって緊迫した精神が、ここにきて一気に開放されるのである。

 バロック音楽における十字架音程に似た音型のフレーズは、死者への弔いの歌のようで、実際に近年のライブでは観客が声を張り上げてこのメロディを歌っている(本来はヴォーカルが入る部分ではない)。リフは4回繰り返されるが、前半の2回と後半の2回の間に短いギターソロが入る。このソロの合間も観客は声を上げて煽り続けるのが通例で、リフを歌ったり、ギタリストがソロを演奏している間にも合いの手を入れたりする行為は、他のバンドのライブではあまりみられない。こちらのソロでもベースとドラムは激しく動き回っており、バンド側のイメージとしては「ギターソロ」ではなく「ディキシー」なのかもしれない。

 観客とバンドが一体となった「鎮魂歌」の後は、リフ4が適当数繰り返されて、あっさりと曲が終結する。スタジオ版ではテープが早回しになり、ピッチが上がって、最後は主和音が鳴る……という終わり方だが、ライブではピッチを上げず、ドラムが終止形を担当する。

 この最終リフはドラマチックかつカタルシスの塊のようなリフで、ファン人気が非常に高い。2017年2月に行われたブラックサバスのラストライブの映像には、このリフを聞きながら泣き崩れる女性ファンの姿がある。1970年というデビューの年から演奏され続けた曲なのだから、ファンの思いが強いのは当然だ。しかしこのリフには確実に、人を感動させる力がある。

 

  1. 総括

 この『War Pigs』という曲は、ファン以外にはあまり有名な曲ではない。ブラックサバスと言えば『Paranoid』か『Iron Man』、そういう観衆が多いだろう。しかし熱心なファンは大概この曲を推す。それはこの曲が、ブラックサバスの良い部分が十分に発揮された曲だからである。秀逸なリフ、悪魔的なギター、怪しげなベース、暴れ回るドラム、そしてダイレクトに感情が伝わってくるヴォーカル。これこそがブラックサバスの音楽のすべてであり、そして彼らの持つメッセージのすべてである。

 1960~70年代という時代において、ブラックサバスは異質な存在だった。愛と平和を歌うヒッピーブームの最中に突然現れた、黒髭に長髪の異様な風体の4人組。音楽は陰鬱で重く、歌詞は意味不明でホラー映画の一幕のよう。ヴォーカルの落ち着きの無さや言動は明らかに何らかの障害があると思われ、ギタリストは義指を使っているし、ベースとドラムはどう見ても麻薬の常習者。それがブラックサバスの姿だった。彼らの出発点は「明日の飯にありつくこと」という素朴なものであったが、浮かれた時代に疑問を持つ聴衆は彼らのようなアンチ・ヒッピーのバンドを欲していた。そしてブラックサバスは、メタルの始祖として神格化された。メンバーは自分たちが神格化されている事にずっと疑問を抱いているようだが、時代のことを考えれば当然なのだ。ただまあ、「あなたはメタルが存在する理由そのものだ」というような褒め方をされては、アイオミも困惑して当然だと思う。

 と、ここまで書いて「そういえばトニー・アイオミはこの曲についてどう思っているのかな」と考えた私は彼の自著を開いた。何故最初からこの本を開かないのかといえば、「ドーン、ドーン、ドーン、これだ! 曲が出来た! すごい!」という程度のことしか書かれていないからである。そして実際、『War Pigs』に関しても特に何も書かれていなかった。とりあえずギーザーは凄い。そんな所だった。これだからブラックサバスは良い。

 どんなに緻密に作られているように見える曲でも、実際のところはどうなのか、それは誰にもわからない。意図されていない部分をさも意図されているかのように他者へ押し付けることはあまり好きではない。しかし、聴いて「凄い」曲は大概、楽典的、和声的にも「凄い」のだ。分析して得られるものは何かと問われると苦しいところだが、どうして「凄い」のかという問いには、きっと答えられるようになるだろう。

 ただし、「ミュージシャンもこう考えて作っていたはず」という思い込みは厳禁だ、と私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考音源等

Black Sabbath - "War Pigs" Live Paris 1970

https://youtu.be/K3b6SGoN6dA

ファンの中で名演と呼ばれる初期の演奏。珍しくオジーが音を外していない。スタジオ版はドラムに不満があるが、この演奏では実に素晴らしい乱れ打ちを聴かせてくれる。しかしデビュー当時のアイオミは見た目がとにかく怖い。

 

Black Sabbath "War Pigs" Live at Ozzfest 2005

https://youtu.be/9ssDXiMLX9o

2005年の映像。途中でオジーが尻を見せる。冒頭でサイレンが鳴り、よくわからないオジーの煽りを聞くことができる。ドラムにややミスが多いものの、ベースとギターは相変わらずの強力さだ。このライブを最後にビル・ワードはサバスと合流していない。

 

Black Sabbath - "War Pigs" from 'The End'

https://youtu.be/zY5nYmTUfnQ

最終公演での演奏。シャウトは音を外すため、観客が歌う。音を7割外していても観客が怒らないヴォーカリストなどオジー・オズボーンくらいのものである。このライブでは何故か真ん中にこの曲が置かれ、各方面から疑問の声が上がった。