安藤の掃溜め

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たまについての話 第三夜 たまの音楽性

※大1の頃に書いたレポート、まとめのとこ。

 

 『たま』は1990年のメジャーデビューから程なくしてヒットチャートから姿を消し、自主レーベル地球レコードを立ち上げ、インディーズでの活動を中心に行なうようになった。何故『たま』の人気が長く大衆的に続かなかったのか。また、何故『たま』は高い演奏能力と柔軟な音楽性を持ちつつもメジャーレーベルでの成功にこだわらなかったのか。

 

『たま』の代表曲は、言わずと知れた『さよなら人類(柳原)』である。これは歌詞においても楽曲構成においても、日本のヒットチャートの中では異質で怪しげな曲だが、『たま』のオリジナルアルバムをひとつでも通して聞けば、『さよなら人類』がいかに『たま』の楽曲の中で明るく、ポップスらしいかがわかる。『さよなら人類』は『たま』の中では珍しい、毒気の薄い曲なのだ。

 『たま』の大衆的人気が長続きしなかった理由は、ヒットしてライトなファンが増えたあとにも、『たま』がアンダーグラウンド志向を変えなかったことにある。1990年12月、グローブ座で行われたライブのセットリストをを見るとそれは顕著だ。このライブで演奏されたのは『さよなら人類』を含めた15曲。ライブの丁度中盤には、身体障害者に対する揶揄や怪奇趣味が露骨に表現され、放送禁止用語が含まれる『カニバル(石川)』が演奏されている。この曲は『たま』の中でもかなり過激で、アンダーグラウンド志向が強い曲だ。『たま』をコミックバンドだととらえ、『さよなら人類』のようなポップナンバーを求めてライブに参加したライトなファンは、そのポップなイメージと、テレビが放送できない『たま』本来の姿のギャップに、次第に離れて行った。

 

 『たま』は本来、かなりアンダーグラウンド色の強いバンドである。1989年発表のカセット『たまてばこ(自主制作)』には『三宅裕司いかすバンド天国』でも演奏された『らんちう(知久)』を含む4曲が収録されているが、この中で放送禁止用語や問題になりかねない単語を一切含まないのは『海に映る月(滝本)』のみだ。その後メジャーで発売されたものとはアレンジの違う『らんちう』は中間部の語りに【ぼくのさびしい記憶に/ふしぎの注射をしてください/いじらしいいびつな形の心臓に/やさしいあんまをかけてください】という意味深が過ぎるワードがあり、続く『夏のお皿はよく割れる(石川)』は、冒頭僅か5秒で【となり部落の/ライ病患者】と放送禁止用語を2つも歌う。4曲めの『マンモウ開拓団(柳原)』は放送禁止用語こそ無いが、曲中でひたすらに繰り返される「マンモウ、マンモウ、マンモウ……」というコーラスが、女性器の俗称に聞こえてくる(歌詞の全体を見ると史実の満蒙開拓団をイメージした歌ではないとわかり、石川の【俺達は下品なことが大好きなマンモウ開拓団じゃい】という台詞が入ることから、意図的なものと思われる)。

 

 この他にも『たま』には数多くの放送禁止用語が用いられた曲がある。

・『ねむけざましのうた(知久)』――【やがて鼻水はびっこを引き/駐車場に咲きます】(「びっこ」を「糸」に書き換えて東芝EMIから発売された『犬の約束』に収録)

・『おおホーリーナイト(知久)』――【つんぼのひとも/めくらのひとも】(ライブ等では「偉くないひとも/ずるくないひとも」に歌い換え)

・『お昼の二時に(石川)』――【黒いクロマティにおんぶされて/南の農場にほらほら/連れ去られる】(DVDでは「クロマティ」と、その後のコーラス「クロンボ」に規制音。一方3番冒頭の「オナニーしてたら」に規制は無し)

・『猫をならべて(柳原)』――【どんどん伸びて/支那の果てまで】

・『東京パピー(石川)』――【バーサンコーラを飲んでいる/おしの言葉で喋るんだ】

 

 また、この他にも『あたまのふくれたこどもたち(知久)』の歌詞は新興宗教の信者を歌ったものであり、これが問題視され、インディーズからの発売を余儀なくされた。また、『ひるね(1991)』に収録された『牛小屋(柳原)』には、曲中に「よんよこ……」というスキャットがあるが、この「よん(四)」という響きが屠殺業を連想させるとして、歌詞カードにスキャット部分が記載されていない。

 

このように『たま』の音楽性は、歌詞の方面からTVやラジオというメディアに合わなかった。日本のみならず、どの国でもアーティストが名を売るためにはTVやラジオでの宣伝が不可欠である。だが『たま』は、放送コードの関係で放送できない曲があまりに多いのだ。仮に危険な曲を避けて放送したとしても、ライブでは放送禁止用語が連発する。それでは売れようがないのである。

 

そもそも『たま』は当初からプロ志向であるものの、メジャーで売れようという心意気が薄いバンドだった。プロを目指すアマチュアバンドの場合、一曲でもヒットが出れば大衆の好みに曲調や歌詞を合わせるものである。英国のロックバンドQUEEN(1973-)が世界的にヒットしたのはまさにこの方法を用いたからだ。彼らは当初、幻想性の高い混沌とした世界観を歌っていたが、『Bohemian Rhapsody(1975、EMIより発売)』のヒット後、より大衆に広く受け入れられる現実的な歌詞と、直情的な曲構成を取り入れ、いかにもなグラムロックからスタジアム・ロックのバンドへと変容していった。QUEENは商業的成功のために初期の音楽性と高い演奏技術の誇示を捨てたのである。当然QUEENの商業主義の姿勢は批判されることもあるが、結果として3億枚以上売り上げているのだから大成功という他ないだろう。

 

だが、『たま』はQUEENにならなかった。『さよなら人類』がヒットしても、『たま』は当初のアングラな音楽性を一切崩さず、売れ線を意識しなかったのだ。結果として『たま』は『さよなら人類』以降たいしたヒットを出していないが、それで解散したりなどはせず、19年間活動を続けた。これは商業主義への反抗というより、自分たちの表現したいものがメジャーではできないことを知っていての行動に思える。だからこそ『たま』は自らインディーズレーベルを立ち上げ、自らの表現したい音楽を、思う存分に表現したのだ。

 

  1. 柳原陽一郎脱退後

 1995年末のライブを後に、キーボードの柳原陽一郎が脱退。以降『たま』はメンバーの入れ替えではなくサポートメンバーを入れる形で、3ピースのバンドとして活動を継続した。キーボードが脱退した事による音の厚さの問題を解決するために、1995年以降の『たま』の楽曲は打ち込みやシンセサイザーエフェクターが多用されるようになる。2001年マキシシングル『汽車には誰も乗っていない』収録『電車かもしれない(知久)』は知久の弾き語りのバックに電子音やSE、打ち込みの打楽器などを追加して作られており、後期の『たま』を象徴する曲だ。

 

その一方で、『たま』は更に構成を小さくした「しょぼたま」という形でもアルバムを出したり、ライブを行ったりしている。これはパーカッションセットを最小限にし、滝本は鍵盤ハーモニカを吹き、知久がミニギターやウクレレに持ち替えた、サポートメンバーを入れない最小限の形だ。

 

鍋や桶、タンバリン、鍵盤ハーモニカ、ミニギター、ウクレレ。これらは最も初歩的な部類の楽器であり、これらだけを用いた3ピースのバンドで2時間近いセットリストを組むなどなかなか通常では考えづらい。これは時代を追うごとに打ち込みや電子楽器が生きたミュージシャンを圧迫し、しかし肥大していく日本のポップスへの皮肉ともとれる。

 

 また、「生楽器」での「生演奏」にこだわる姿勢を見せることは、口パクや録音を流すことが基本の現代日本の音楽業界に対するアンチテーゼである。石川は『たま』がテレビ朝日の音楽番組に出演した際、同日に演奏する他のミュージシャンが全員生演奏ではなかったことを後のインタビューや著書の『「たま」という船に乗っていた(2004 ぴあ株式会社。現在は本人WEBサイトで全文公開)』等で明かしている。その番組では演奏の際に知久のアンプから音が鳴らないトラブルがあり、知久はコーラス用のマイクにギターのホールを近づけて音を拾わせ、何とか演奏を乗り切った。通常ならばこのようなトラブルは仕切り直して当然だが、生演奏が一組だけであったために対応しきれず、奇妙な姿勢でギターを弾く知久の姿はそのまま放送されてしまった。

 石川の著書には、その後知久が「受け狙いで変な恰好で演奏したの?」と訊ねられたことが記されている。同書には口パクに対する石川の考えとして、次のようなことが語られている。

「激しく踊りながら歌うアイドルグループなどは、いわゆる「口パク」で全然かまわないと思う。(中略)アイドルは「音楽」を売るのではなくて(中略)「夢」を売るのが仕事の本筋だ」

「ただバンドとかで「音楽の実力」とかで売っている人達がそれをやったら駄目だろー。(中略)俺はそれは相当格好悪い事だと思うけどなー。」

 この記述はまさしく、『たま』がマスコミに囃し立てられたキャラクター性ではなく、音楽性一本で勝負をしていた(そしてそれが大衆に理解されなかった)ことの表れであるように思う。

 

 

 

  1. まとめ

 以上のことを総括して、『たま』の音楽は何に抵抗していたのか。奇抜なキャラクター性からコミックバンドと世間に認知された『たま』の本来の姿は、やや危険でアンダーグラウンドな、高い演奏技術と洗練された音楽性を持ち味にしたバンドだ。彼らは「日常の中に存在する音や誰もが幼少期に聴いた・演奏した楽器を使用」し、「幼い頃に見ていた世界そのものの感覚を歌詞で表現」する事によって、肥大する音楽と、子供であることが許されない現実世界に抵抗したのである。

 

現実世界への抵抗の対象は政府や社会体制に向けられ、攻撃的な歌詞で表現されることが多い。尾崎豊の『15の夜』や『卒業』はまさにこの例だ。古くなれば、英国でThe Sex Pistolsが露骨に反社会的な歌詞を歌っている。だが、『たま』の音楽は反政府的でも、反体制的でも、攻撃的でもない。なぜならば、『たま』が抵抗したのは「現実社会」ではなく「現実世界」であるからだ。

 

先進国のみならず、この世界で人間として生活していくのには、誰しもが「大人」にならなければいけない。現実世界の求める「大人」の像は、考えがはっきりしていて、空想の世界に閉じこもらない、論理的な思考と生活能力、そしてしっかりしたコミュニケーション能力を持つ者である。考えがはっきりせず、空想の世界に閉じこもる、支離滅裂な思考を持つ者は「大人」とはみなされず、ともすれば社会からの排除の対象となる。しかし人間は誰しもが自分だけの内的な世界や、子供の頃の記憶や夢を持っている。それを表に出す事が許されない現実世界に、『たま』は幼少期に奏でた楽器を使うことと、支離滅裂で幼児性すら感じられる歌詞を作ることで抵抗したのだ。言い換えれば『たま』の音楽は、大人になることへの抵抗の音楽なのである。

 

『たま』の歌詞は現実的なものでないため、共感できる場面などほとんど存在しない。にもかかわらず、多くのファンはその歌詞に感動の言葉を送る。それは『たま』の音楽がアーティストの内面的な世界を音楽として昇華させることで、聞き手の内面的な世界に訴えて、歌詞になる以前の「感情」自体を共有しているからである。現実世界は日々巨大化し、内面的な世界までをも脳内物質や科学という言葉で解明しようとしている。その世界に対して『たま』は、科学や理屈では決して説明し切れない精神世界の様を、人間が「生」で奏でるサウンドによって表現し、抵抗した。『たま』の音楽に対して感じる「懐かしさ」は、その抵抗の結果に生まれた副産物である。

 

 2017年の現在、人工知能の領域は芸術にまで達し、ボーカロイドを始めとした打ち込み音楽の発展は、もはやミュージシャンの演奏と区別がつかない程になっている。その社会の流れの中で、元『たま』の知久は現在も、マイクすら使わない「流し」スタイルのライブを行っている。一見してそのスタイルは穏やかな吟遊詩人のようだが、実はそれこそが『たま』の持っていた「抵抗」を、最もはっきりと表している姿なのかもしれない。