安藤の掃溜め

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【楽曲紹介】そろそろ女王蜂を聴こう【URLは不紹介】

洋楽好きは是非女王蜂を聴いてほしい。「女王蜂?なんとなく名前は聴いたことあるけど邦ロックでしょ?」みたいな貴方にこそ聴いてほしい。何故ってこのバンド、「洋楽好きが日本のバンドに求めるもの」がほとんど揃っているのだ。

女王蜂は本来、洋楽好き、それも70年代の古いロックやメタルが好きな層にバカ受けしそうなバンドだ。しかし洋楽界隈における知名度は高いとは言えない。これは何故か。答えは単純。そういう洋楽好きが訪れるフェスに出てないし、そういう売り方をされていないから。

しかも女王蜂はまだまだ若手バンドだ。いちおうデビューは2011年と早いのだが、途中で1年間の活動休止があり、実質6〜7歳くらいのバンドということになる。その間にメンバーチェンジもあり、今月やっと幕張メッセ2Days公演が発表されたくらいだ。ただまあ現在開催中の全国ホールツアーは全公演ソールドアウトで倍率出て当落発表阿鼻叫喚なわけだから、幕張2Daysも当然か。ちなみにデビュー当時のメンバーは10代だったという噂があるので、2011年で19歳だったとすると今まだ20代後半。めっちゃ若い。

メンバーはアヴちゃん(Vo)、ひばりくん(G)、やしちゃん(B)、ルリちゃん(Dr)となっており、顔出しバンドではあるが、誕生日以外の個人情報は性別や国籍まで明かされていない。なお、アヴちゃんとルリちゃんは実の姉妹、アヴちゃんとやしちゃんは古くからの親友だそう。女王蜂は当初、その3人で結成されたバンドで、ひばりくんは後から「何でもしますんで!」と入ってきたという。

さて、ここまでなら「今イケてる若いバンド」だ。そんな女王蜂をなぜ洋楽好きに推すのか。繰り返すがこのバンド、洋楽好きが「日本のバンドにやってほしいこと」をしっかりやっているのだ。

まず、音がズシンと重い。ベーシストにパワーがあり、ギタリストの技術や音作りも綺麗だ。音楽は早口言葉にはならない程度で快速なものが多く、ブラックサバスばりにリフ主体で、ド強力なリフが楽曲全体の印象を支配する。楽曲は和風・アジア風の音階が用いられているものが多く、「洋楽からの影響」は感じられるが「洋楽もどき」では無い。

楽曲の主題の多くは「性」に置かれる。そのまんま「売春」「泡姫様」という曲もあるが、性風俗だったり、未成年の性欲だったり、性自認だったり、性暴力が歌われることもある。LGBTQに関するものもあるが、どれも一筋縄でいかない表現がとられる。

「生き辛さ」を歌うものも多く、ただし「世の中に不満をぶちまける」「世の中を変えてやりたい」というわけでもなく、むしろ「世の中のほうが勝手に変わってくれるなんてありえないっしょ」みたいな価値観が見られる。なんというか、他人になにかを求める以前に自分で自分を認められない、そんな葛藤を描いている感じがするのだ。

恋や愛、失恋なんかが書かれることもあるが、これもまあ一筋縄では行かない。たとえば「緊急事態」という曲では「会いたい」ではなく「顔向けできたらどんなに嬉しいことか」と歌う。素直に解釈できるラブソングもないわけではないが、まあ1アルバムに1曲程度だろうか。割合としてはブラックサバスのラブソングと同程度である。やはりサバスは全ての根源。

歌詞では、そんな内容が流麗な日本語で綴られる。韻を踏むことが重要視されているために意味不明なものもあるが、言語のリズムの作り方、崩し方は巧みだ。ぞっとするような表現の美しさを見せてくることもあり、「朝焼け」を「紺色を淡く手放す空」(始発)と言い換えるセンスで作詞される。この辺もっと注目されて良くない

 

※注:ここから先でYouTubeの動画を埋め込んで紹介しようと思ってたんですが、なんか規約的に怪しそうなので動画を省略しています。

 

※紹介している楽曲はすべて公式YouTubeチャンネルにMV・リリックビデオが掲載されています。興味がある曲があったら、ぜひ聞いてみてください。

 

※本文は「動画があるてい」で進みます。申し訳ない。

とりあえずまずは1曲、「緊急事態」を紹介したい。アルバムの最後に置かれたこの曲は、女王蜂にしては素直なラブソングだ。戦争映画やゲームでしか聞いたことのない語彙が羅列された歌詞は一見して色物のようでいて、サビ部分で綴られる真っ直ぐな、しかし自己否定が拭いきれない、切なげな言葉選びが強烈である。それにしてもこの曲、爆発的で明るく前向きな曲調の割に低音域の張りが凄い。

よく言われる女王蜂の最大の特徴は、アヴちゃんの超絶ヴォーカルパワーだ。声質は癖がなくマイルド、少々皮肉っぽい感じだが、とにかく声域が広い。下にも上にも広い。しかも地声と裏声の転換が上手く、1秒でオクターブ切り替えられる。さらにライブでも平気でそれをやる。

その特徴が大きく現れているのが「催眠術」だ。歌い出しから「は?」となる。ホント喉どうなってんだよ。なんでその音当ててくんだよ。そんな部分に気を取られてしまいがちだが、この曲は語尾の韻の踏み方が大変心地良く、それ故に「崩し」の部分からは官能的な匂いが立ちのぼる。実にエロチックな曲だ。

「催眠術」は音源でもブッ飛ぶが、ライブでも原曲ままで歌われるから凄い。百発百中のスナイパーみたいな喉である。またMVも毒っ気たっぷりで超セクシーだ。バンドは映像作品等のビジュアル面にも自ら携わっており、統一感のあるハイセンスさをどんなときにも感じられる。

さらに、ヴォーカルの演技力が極めて高いのも女王蜂の魅力のひとつだ。魔性の女を演じて見せた次の瞬間ではハンサムな若者になったり、女子高生になったり、幼い女の子になったり、そんなことができる。

その広い音域と演技力を活かして作られたのがこの「売春」である。MVの映像からも分かる通り、この曲はアヴちゃんひとりで女性と男性を演じ分けながら歌われる。楽曲の主題は売春や援助交際だが、女性側が「あなたが被害者」と断じ、男性側が「君は支配者」と歌うところが面白い。どこか中華風のトラックにのせて歌われる歌詞は文学性が高く、日常次元では使われない語彙が連続する。それだけに一箇所だけ登場する「ピンヒール」という単語のビビッドな毒がたまらない。

「売春」は音源ならではの飛び道具的な曲ではあるのだが、実はこれ、ライブの定番曲なのだ。信じらんねえ。しかもライブでもちゃんと1人2役で歌われる。ほんと喉強すぎねえか。

まあ、そんな感じでアヴちゃんの歌声に注目が集まりがち、というか注目せずにはいられない女王蜂だが、バンドとしてのパワーも強い。

たとえばアニメ『どろろ』のオープニングとして注目を集めた「火炎」なんか女王蜂の持つカッコよさの真骨頂だ。無駄を削ぎ落としたスマートな曲展開に、工夫が尽くされたサウンド作り。冷静に放たれるシャウト。さりげない言葉遊びの多用。激情的な楽曲だが、音楽は全てがバンドの支配下に置かれ、残酷なほどに冷たく透き通っている。サビ部分を大胆に削り、ギターリフが置かれる思い切った構成には痺れる他にない。

バンドサウンドに重点が置かれた曲としては「ヴィーナス」を紹介したい。これはファム・ファタール的な女性への憧憬と欲望を中華風の音階にのせて高らかに歌い上げた楽曲で、「ヴィーナス  ヴィーナス」のリフレインに混ざり込む「崩し」の歌詞がなんとも性的だ。またMVが良い。女王蜂のMVにしては単純な作品ではあるが、とにかくバンドの仕草、視線の動かし方のひとつひとつが美しい。もうほんと惚れ惚れする

それと対になるような曲に「金星」がある。先に紹介した「ヴィーナス」が80〜90年代風のジュリ扇ふりふりディスコナンバーなら、「金星」は21世紀的なクラブナンバーだ。爽やかな打ち込みに乗せられるヴォーカルは肉感的で、ちょっとサタデーのナイトにフィーバーしてそう。しかしまあ音域どうなってんだ。MVはランジェリー姿で歌い踊っているが、不思議と過剰な性的さは無い。

ファッショナブルさもバンドの特徴のひとつだ。今のところの最新MV「Introduction」は大袈裟なほどにファンタジックで、ほんわりと白く輝く画面に悪趣味なまでの可愛らしさが詰め込まれている。ちなみにアヴちゃんは手芸も上手いらしく、このセーラー戦士風の衣装も自ら手がけているそうだ。その器用さの100分の1でもいいから分けて欲しい。

ここまで、たくさんの曲を紹介してきた。もうハマってきたわって人はいると思う。興味を持ってくれたらぜひアルバムを聴いてほしい。女王蜂はアルバム主義色が強いバンドだ。最高傑作を自称しているのは『Q』(2017)で、こちらは胸の詰まるような生きづらさと性的な要素、そして暴力性をも散りばめられたコンセプトアルバムとなっている。

個人的に最も好みなのは、ジャケットのセンスが独特な『奇麗』(2015)だ。これは曲順が素晴らしすぎる。諦観の「売春」を過ぎ、静寂から始まる不穏さ漂う「始発」。それが唐突に切り上げられると流れ出す終曲「緊急事態」のイントロ。この流れがほんとに最高。アルバムを聴く楽しさを思い出させてくれる。

女王蜂のファンが何を聞いているのかは、本当にバラバラだ。歌い踊るアヴちゃんの存在そのものに勇気をもらっている人もいれば、バンドの演奏を聴くためにライブへ足を運ぶ人もいる。歌詞に共感して慰められると言う人もいるし、そのファッション性を見習いたいと考えている人だっている。

その中で私は、女王蜂の「強さ」を高く評価している。女王蜂は非常に強いバンドだ。ステージに立つバンドの面々は全身が攻撃性と喜びに満ち溢れていて、そこから繰り出される音楽の気迫も凄まじい。だが、それを表現するための言葉や音楽、仕草のひとつひとつは流麗で、ため息が出るほどの美しさが漂っている。それが好きなのだ。

自らが強い存在であることを誇示するために、暴力的な言葉を使ったり、下品さを演出したり、叫んだり、血を流したり、何かを壊したりする必要は無い。品良く書き綴られた言葉と透き通った声、ストイックなバンドサウンドの中に、暴力性や淫靡さが匂い立つ。女王蜂はそういうバンドだ。

最後に、「鉄壁」という曲を紹介したい。この曲はお遊びなしの簡素なロックバラードながら、その歌詞に込められている自己否定と自己肯定との葛藤は並のものではない。「幸せになれますように」とも願えず、「不幸が訪れませんように」と祈る声は悲鳴に近く、聴いていると、いかに自分が「わかっている」ようでいて、何も理解していないまま驕っていたかということを思い知らされる。

しかし、「鉄壁」の何よりも良いのは曲構成だ。この曲はまず叩きつけるようなピアノで始まり、優しい歌声が乗せられる。そこが過ぎると突如として爆発的なバンドサウンドが響き、歌声はシャウトへと変貌する。それはまるで、自分を縛る足枷を自ら打ち砕いた孤独な少女が、バンドと出会い、「女王蜂」として羽化するかのように。