安藤の掃溜め

どこに投稿するかわからないものを投稿するために開設。飽きたら放置。

ミュージシャンはなぜパツパツパンツを履くのか

ミュージシャンはなぜパツパツのズボンを履くのか。
これは果てし無くバカみたいな話であり、しかし1度気になると果てし無く気になる話なのである。

パツパツズボンーー語呂が悪いため、以降はパツパツパンツとするーーが音楽界において一世を風靡したのは、1980年代から90年代にかけての、群雄割拠のHR/HM戦国時代の頃だった。
だが、それ以前にパツパツパンツの兆しが無かったわけではない。1970年代には全身タイツのフレディ・マーキュリーであったり、異星人みたいなデヴィッド・ボウイであったり、その他諸々のグラムロック界隈のミュージシャンたちなどが、ぴったりした衣装でボディラインを観客へと存分に見せつけていた
また、オジー・オズボーンは1960年代にロバート・プラントと初めて会った時の印象として、「あんなにぴったりしたパンツを履いているやつを見たことがなかった」という旨のことを語っている。

だが、それらのパツパツパンツは1980年代以降のパツパツパンツとはちょっとイメージが違う。
フレディのタイツは自身のバレエ好きや音楽的イメージが服装として表れたものであり、ボウイのボディスーツも世界観を表現するためのものであり。エロティシズムを根底に持つグラムロック界隈の細いパンツは、ゲイファッションの影響があるだろう。
つまるところ、1970年代におけるパツパツパンツとは、あくまで「衣装としての舞台装置の一部」に過ぎないのだ。彼らは音楽的な理由があるからパツパツパンツに脚を捩じ込み、舞台に立っていた。単純明快な答えである。

えっ?じゃあロバートプラントはどうだって?
……どうなんだろうなあ。

そして1980年代に入ると、パツパツパンツは大流行する。
猫も杓子もパツパツパンツ。音楽には関係なくパツパツパンツ。材質はゴムでも革でも布でもなんでも、とりあえず基本はパッツパツ。股間サポーターまで付けたやつもしばしば存在した。隠すか出すかどっちかにしてくれ。

具体的なバンド名やアーティスト名を列挙するのも面倒なほど、パツパツ野郎が音楽シーンを埋め尽くしたあの時代。なぜ、1980年代において、パツパツパンツはあんなに流行したのか。
だってあんなのが流行るなんてどうかしてる。どう見ても動きにくいし、暑い。この間TLでいろんなミュージシャンのつぶつぶ付きパツパツパンツについて話し合ったが、アレ硬い椅子に座ったら絶対ヤバい。座れない。洗濯して縮んだら途端に履けなくなるし、3キロでも太ったらもうアウト。利便性皆無。

その理由が気になった私はまず、「あれはセックスアピールなのではないか?」と考え、太腿のパツパツ具合と性機能の関係について調べてみた。なんか以前Twitterで「太腿がパツパツの男は絶倫」という話を見た気がするからだ。

音楽の良さと容姿の良さは関係無い。これはまあ事実である。特に日本においては、山口百恵がモテたいためのロックは動機不純と歌っているから、尚のことその辺りの関連付けは嫌われる。
しかし、人間の三大欲求に「性欲」は含まれていても、「音楽でスターになりたい欲」は含まれていないわけで。

んで、結論から言えば、適当に探した限り、「太腿がパツパツの男は絶倫」という話に対して、明確なソースは見つからなかった。だが、「性機能向上にスクワットが有効」というウェブサイトは幾つか見つかったから、みんな今日からスクワットをしよう。
まあでもこの結果は、「脚を鍛えれば性的能力が上がる」というわけで、裏返せば「性的能力が高い男性は脚がムキムキ」ということにもなる。つまり、パツパツパンツはセックスアピールに有効なのだ。

とりあえずこれで、どう考えても不便なパツパツパンツを履く理由がひとつできた。
しかし、よく考えてみてほしい。しっかりした太腿を見せつけたいのならば、ズボンなんかそもそも履かず、ホットパンツみたいなのを履いて出て来れば良いのだ。敢えて暑いパツパツパンツなんか汗だくになって履く必要は無い。

とはいえパツパツパンツの良いところは、鍛えていないひょろりとした華奢な脚を男らしく演出してくれる所にもある。脚の短さをごまかすための腰パンみたいなものだ。
カッコいい身体とモテる身体とは、ちょっと違う。男なら一度は最近のザックワイルドのように「強そう」な男に憧れるものだが、世の女性の多くは、若い頃のザックワイルドみたいな細マッチョが好きだ。

そういうところでも、パツパツパンツは意外な有用性を見せる。あのパツパツパンツ、要は「ちょうどいい感じ」に自分の体格を演出してくれるのだ。程よく筋肉質に、程よく華奢に。数万人の前に立つ時には、自分をより格好良く、より魅力的に見せたいのは当然の心理であるから、そういう「性的魅力の演出」からパツパツパンツを履きたがった、ということは、万人に納得の行く理由だろう。

ついでに、パツパツパンツに対するフェティシズムというものは、ラバーフェチなんてものがある。こいつはゴムの質感や匂い、締め付けにムラっとするフェチなのであるが、驚くべきことに、ラバーフェチの本場はイギリスなのだそうで、1984年頃にはラバーフェチを扱った雑誌がファッション界で大きな話題となっていたそうだ。

ファッション界で最新ファッションとしてパツパツが取り上げられ、流行を追う若者がそれを自ら取り入れ、そして若いミュージシャンたちのファッションになった。
単純な流れだが、パツパツパンツが流行りだした時期を考えると、説得力が凄い。っていうかこれが正解なんじゃなかろうか。今では笑っちゃうようなパツパツパンツも、昔は最先端のカッコいいファッションだったのだ。

パツパツパンツが気になって深堀りしてみたら、フェティシズムとファッションの意外な歴史が見えた。でもまあ結局私が言いたいことは、トニー・アイオミのパツパツパンツはめちゃめちゃカッコいいという事だけだったりする。

さあ、みんなもレッツ・パツパツパンツ。
ちなみに私は、パツパツパンツが苦手です。

War Pigs 分析と解説

  1. はじめに

 『War Pigs』は1970年、ブラックサバスの2ndアルバム『Paranoid』の冒頭に収録された1曲である。当初は題を『Walpurgis(魔女)』として、アルバムのタイトルナンバーとする予定であったが、あまりに過激(?)ということで発売直前に待ったがかかり、「もうパラノイドにするしかない」というかなり大雑把な理由で、急遽2曲目の『Paranoid』がアルバムタイトルに採用された。ブラックサバスの作詞担当は、他メンバー曰く「インテリ」のベーシスト、ギーザー・バトラーであり、この曲でも例外ではない。作曲者のクレジットにはメンバー全員の名前が記されているが、これはブラックサバスのメンバーが、全員でセッションをしながら曲を作っているためである。

 ブラックサバスは1968年に結成されたバンドで、2017年に「体力の限界」という理由から解散するまで、約50年の間、メタル界を牽引し続けた。彼らはデビュー当時から、暗く重く、保守的ながら斬新な独自の音楽性を評価され、「全てのメタルの祖」として、特に欧州メタルのシーンではメンバーごと神格化されているといって過言ではない。中でも初代ヴォーカルのオジー・オズボーンは「闇の帝王」などと呼ばれ、半ばアイドル扱いである(これは彼の奇行とキャラクター性も大きく影響していることだが)。

 メンバーは1978~97年まで入れ替わりが激しかったが、再結成後はオリジナルメンバーで活動しているときのみ、「ブラックサバス」と名乗ることができる契約となった。このため、同じバンドでもロニー・ジェイムス・ディオがヴォーカルを取ると「ヘヴン&ヘル」と名乗らなければならない現象が一時期起こる(なお、ディオは過去にブラックサバスへ在籍していたメンバーのひとりであり、ブラックサバス名義で多くの曲を録音している)。

 オリジナルメンバーはオジー・オズボーン(V)、トニー・アイオミ(G)、ギーザー・バトラー(B)、ビル・ワード(D)の4名で、結成当時から解散まで一貫してアイオミが音楽的な中心を担当していた。バンドメンバーの全員が労働者階級の若者であることは当時として珍しい事ではなかったが、その中でもブラックサバスのメンバーたちは、アイオミの回想曰く「掃きだめのような連中」であった。特にオジーは識字障害と発達障害を持ち、生活苦から強盗をして服役した経験もあり、アイオミは勤務先の工場での事故で右手中指と薬指の先端を切断していた。そんな彼らの船出は決して幸先のいい物ではなく、しかしこの「底辺っぷり」こそが、ブラックサバスが後に神格化された理由の一つでもあった。ただし演奏技術は結成当時からかなり高く、地元バーミンガムでは演奏の巧さから既に名の知れていたアイオミが在籍していたため、それなりに注目されていたことは留意されたい。当然ながら、ただ奇抜で設定に特徴があるだけでは、バンドは50年も続かないものである。

 ブラックサバスのメンバーたちには基礎的な楽典知識がほとんどなく、和声や楽典的側面で評価されている部分に関しては、メンバーも戸惑いを感じているようである。そのため以下に記述する分析はあくまで音楽的な視点から見たものであり、本人たちの意図したところではないことを始めに明記する。

 

 

 

 

 

※本来のレポートにはここに歌詞の全文と独自の和訳、楽曲構成を一覧的にまとめたものがありましたが、公開すると著作権的にかなり微妙なラインなので掲載を控えます。ご了承ください。

  1. 解説

 歌い換え部分はオジーのその日の気分や調子によって位置が変わるため、どこの部分の歌詞と交換されるかは不明。おおむね最後の方に置かれるが、ライブによっては冒頭から歌詞が違い、同じ歌詞を繰り返すこともある。歌い換え部分のほうが古い歌詞で、それが表現規制に遭い、アルバム用の歌詞が後からできた、ということらしく、確かに歌い換えの方は若干言い回しが過激である。

 楽式は大まかにA-B-Aで二部形式。タイトルの『War Pigs(戦争の豚ども)』からもわかるように、この曲はかなり過激で直情的な反戦歌だ。当時の反戦運動のアイコンにされたフォークソングやロックンロールは知的で暗喩的なものが多かったが、これはその真逆である。

 この曲は1970年頃、アメリカの地を初めて踏んだブラックサバスのメンバーたちが、ベトナム戦争への強い批判の思いを書き綴ったものだ。かなり破壊的な歌詞だが、全体を支配するのは平和への祈りではなく、権力に対する皮肉とやや教訓的な脅迫である。これはブラックサバスのメンバーたちが元より階級社会のイギリスで、最下層とされる労働者階級の若者たちであり、権力者へ不快感を抱いていたこと、そして、イギリスの若者であるが故にベトナム戦争がやや他人事であったことが影響していると思われる。

 また、ブラックサバスはアンチ・ビートルズの潮流の中で評価されたところがあり(ただしメンバーはビートルズを敬愛している)、1980年代に入るまで、愛や平和を歌う歌詞は基本的に書いていなかった。これはブラックサバスを受け入れた聴衆たちが、流行しているロックンロールの「明るく軽い」テンションに共感できない層だったから、というところもある。

 どんなに流行した音楽でも、それに違和感を持つ層というのは必ず存在する。ブラックサバスが出現した時、その重く暗い音楽性と、労働者階級の冴えない若者たちのキャラクター性に最も共感したのは、ブラックサバスのメンバーたちと同じような、労働者階級の冴えない若者たちであった。彼らは流行の主となった恋愛や人間関係を歌うロックンロールには共感できず、銃口に花束を挿すような反戦歌よりも、銃を持つ人間を殴り飛ばすような反戦歌を求めていた。そして彼らの理想こそが、ブラックサバスの歌う反戦歌、『War Pigs』だったのだ。

 

【イントロ】

 イントロは6/8拍子、ほとんど同じ4小節のメロディが遅く重く4回繰り返される。非常に緩慢かつ重厚なギターのパワーコードが鳴り響く中で、ジャズ風のドラムにベースのメロディが絡む。注目すべきは独特のリズムのズレで、ベースとドラムが明瞭な6/8拍子で演奏しているのに対し、ギターはほぼ4/4拍子(あるいは2連譜)で動いている。

 このイントロは、冒頭から深くフィードバックのかかったギターの重く暗い音色を除いてしまえばジャズのようにも聞こえるが、これはブラックサバスがジャズとブルースのバンドとしてスタートした影響があるだろう。ただし地響きのようなギターは、とてもジャズやブルースには聞こえない(アイオミのギターは弦がバンジョーのものに張り変えられ、かつチューニングが曲によって1音半~4音半下げられている。これは切断事故に遭った指先が弦に触れる痛みを軽減させるためである)。

 スタジオ版では3回目のメロディの繰り返しから空襲警報のサイレンが鳴り始めるのだが、近年のライブ版ではまず大音量でサイレンが鳴り渡り、その後から曲が始まる。この曲はライブの冒頭に置かれることが多く、照明が落ちてからサイレンが鳴りはじめ、ギターの爆音とともに明転するという登場演出が度々なされた。

 ブラックサバスの楽曲はイントロのメロディがそのまま曲の全体を支配するメインリフになることが多いのだが、この曲ではイントロがそれ以降のメロディに一切使われていない。アルバム中に同一の特徴を持つ曲は僅かに2曲のみで、それ以前、それ以降を見ても全体の1/3以下である。

 このイントロは非常に厳格で落ち着いていながら、ギターを伴奏にドラムとベースがメロディを奏でるという力関係の逆転を用いて、聴衆へ異常性をひしひしと感じさせる作りになっている。叩き割らんばかりに打ち鳴らされるドラムと、それに対して無機質なベースはまるで焼け野原の光景を象徴しているが如く、ビブラートのかかったギターの荘厳なパワーコードは、悪魔が翼を広げて死体で埋め尽くされた大地の上を飛んでいる様子に聞こえる。

 

【メインリフ~Aメロ(1番歌詞)】

 4/4拍子。テンポはおおむね?=154ほどで、イントロの約3倍にもなる。ここにきてギター、ベース、ドラムがユニゾンになり、たった2音のみの破壊力に満ちたリフが、それまで流れていたイントロを前触れなく打ち砕く。この急激な転換は、言うなればブルースからメタルへの突発的な進化である。

 このリフはメインリフ(2音の上行のみのリフ)と、メインリフ+α(2音の上行の後、主音から完全4度上へ跳躍し、そこから半音階で主音へ下行するリフ)に分けることが可能で、歌の入る前にはメインリフ、歌の入った後にはメインリフ+αという形で展開されて行く。メインリフの場合はユニゾンの後に15拍のハイハットの刻みが入って緊迫感を演出し、メインリフ+αの場合は上行形と下行形の間の5拍程度の隙間に弾丸のようなドラムソロが挿入される。このドラムソロは曲中に12回あって、全て違う音型が展開される。なおこのドラムは毎回即興で演奏されているが、おおむね機関銃の発射音や地雷の爆発音など、戦地に響く様々な音を模写している様子である。合間合間にギターが「遊び」を入れているが、アドリブではなく固定音型。

 Aメロは前半、後半で1回ずつ歌われるが、歌詞以外の差異はほぼ完全に無く(ライブだとアドリブで少々変化することがある)、そのメロディも同一の8小節のメロディが4回繰り返され、最後にシャウトが入るのみで、実に単純なものである。ヴォーカルの伴奏はハイハットのみで、ギターとベースは休符になっている。

 さて、このメロディには注目すべき特徴がある。この部分のメロディは主音から4小節でオクターブ上に上行し、次の4小節でオクターブ下行するという形なのだが、上行形と下行形で音階が異なるのだ。まず上行形では、音階の第2音-3音が長2度かつ導音が欠落しているためにミクソリディア旋法となり、しかし下行形では第3音のシャープが外されてごく一般的な短音階となる。これは実に興味深い。何故ならば『War Pigs』の題材はベトナム戦争、つまり東南アジアの国の争いにアメリカが参入した戦争であるからだ。

 ミクソリディア旋法は東南アジアの民族音楽によく見られる旋法である。そのアジアンチックな響きは曲へ意外性を生むとともに、聴く者へ東南アジアの風景を想起させ、そして『War Pigs』というタイトルから、この曲の「War」がベトナム戦争であるということを意識させる効果がある。また下行形では西洋音階を用いることによって、「東南アジアの国と欧米諸国のせめぎ合い」を楽典的に表現しているのだ。尤もメンバーが音階を意識したとは考え辛く、これは単なる偶然であろう。だが、言われてみればそうなっているのである。

 歌詞は戦場の光景を叙事的に歌ったものだ。戦争というある種の集団ヒステリーを『魔女の夜宴(この部分は直訳すれば「黒い群衆」だが、原題の「Walpurgis(魔女。Walpurgis Nightで「魔女の夜宴」)」から考えるに、黒い群衆とは黒ミサに集う人々のことである)』に喩えつつ、最後に神を呼ぶそれは、実に皮肉が利いている。この「おお神よ!(Oh Lord, Yeah!)」の後に続く言葉は「これがあなたの作った世界かよ!」なのか、はたまた「あなたの救いの手を差し伸べてください」なのか。それは聴衆の判断に委ねられる。

 まあ実際のところはどうかと言うと、作詞者のギーザーは熱心なクリスチャンで宗教・動物愛護的ヴィーガンであり(そしてとんでもないオカルトマニアでもある)、彼の意図では「救済を求める叫び」だったのだと思う。しかしヴォーカルのオジーは冒涜的な人物というイメージがあり、彼の歌唱では「創造主に対する非難の叫び」という意図を感じさせる。

 

【リフ2~Bメロ(2番歌詞)~リフ3】

 テンポ、拍子は前項と同一。非常に小規模な音数で構成されたリフで、ヴォーカルが入ってからも、ほとんど同じ2小節のメロディが偏執的に繰り返される。この部分はヴォーカルの主旋律がミクソリディア旋法で、ギター、ベースの伴奏が一般的な短音階である。シンコペーションを多用した主旋律と、ザクザクとした正確な刻みが特徴の伴奏とは複雑に絡み合い、がっちりと噛みあうことは無い。

 Bメロは完全4度の跳躍が何度も繰り返される、朗々としてどこか牧歌的なメロディが特徴。だが、伴奏と主旋律の音程が長2度でぶつかる所が多く(歌い出しから1小節はほぼ全部の音がぶつかっている)、不安定さと不穏さが漂う。

 この音のぶつかりと不協和音の多さ、そしてギターの過度な歪みから、最初期のブラックサバスは「不協和音にまみれた騒音」と酷評される事も多かった(ギターの音の歪みは指先の怪我のために仕方がないのだから、容赦してほしいものだが)。しかし後から聞けばこの不協和音の使い方は秀逸だ。ブラックサバスの曲はとにかくショートフレーズの繰り返しが多く、メロディラインだけを抜き出して流すと、すぐに飽きがきてしまう。だからこの曲では、単純な繰り返しの中で唐突な不協和音を作ることにより、曲へ意外性と変化を持たせているのだ。

 そんな複雑な音楽とは裏腹に、この部分の歌詞は実に直接的な政治的メッセージだ。あまりにも素直な言葉で書き綴られているためにもはや説明は不要だが、歌い換えの「People running like they're Sheep(deep?) in fields(人々は羊の群れのように戦地を駆けて行く)」という部分は、戦地を駆ける兵士やゲリラ軍たちを羊に喩えている他に、「Sheep in fields(牧場や牧草地を意味する)」という表現を用いることによって、人々の生活が戦争によって破壊されていく様を表現している。なお、この後の歌い換え部分の歌詞は英語を母国語とするリスナーにも上手く聞き取れない様子である(オジーは非常に訛りが強いことでも有名)。

 Bメロが終わり、メインリフ+αが終わると、3つめのリフが出現する。リフ3は曲中で唯一明瞭にミクソリディア旋法が用いられたリフで、ギターは小節間を跨いだ複雑なシンコペーションを奏で、そのまま短調のソロ(ライブ毎に即興)へ流れ込む。ベースは主音、属音、主音(オクターブ上)、つまり完全音程を単純な8分音符の連続でひたすら繰り返す。ギターソロの部分へ入ると、ベースはギターへ張り合うように複雑怪奇なメロディを奏で始める。

 『War Pigs』におけるギターソロの扱いは独特だ。一応そこは「ギターソロ」であり、アイオミが主役であることは確かなのだが、ベースのギーザーとドラムのビルが伴奏に徹することは無い。むしろ積極的に「遊び」を入れてくる。これはブラックサバスの他の楽曲にはあまり見られない特徴で、鬼気迫るアンサンブルが聞きどころだ。

 ミクソリディア旋法のアジアンテイストかつ明るい響きを一気に破壊する短調のソロ。これは平和なベトナムの日常風景が戦争によって破壊されて行く様を視覚的に表現しているようで、どこか生々しさを感じさせる。ミクソリディア旋法のリフはソロが終わった後にも一瞬だけ現れるのだが、それはベースの先導でメインリフへと飲み込まれ、消えてしまう。

 

【メインリフ~Aメロ(3番歌詞)~リフ4】

 メインリフが流れたあとは再びAメロになり、3番の歌詞が歌われる。参考動画として挙げた1970年パリの演奏ではここで歌い換えの歌詞が挿入されている。メロディは1番と全く同一なので、ここでは歌詞に注目したい。

 アルバム版の歌詞では、ここで初めて「War Pigs」という表現が用いられる。これは利益のために戦争をする政治家を「豚」と罵ったものだ。「黙示録に描かれた裁きの日がやってきて、戦争に齧りつく豚たちが神の手によって裁かれる。彼らは這いつくばって神へ許しを請うが、既に悪魔は彼らを地獄へ連れて行くため、翼を広げている」。要するに「奴らの悪事は神様が見ているから大丈夫だ」という事で、キリスト教徒のギーザーらしい歌詞である。ただ、キリスト教徒ではない我々からすれば「本当にそれで良いのか?」という所はあり、どちらかといえば歌い換えの歌詞の方がしっくり来る者が多いだろう。

 歌い換えの歌詞は原題『Walpurgis』に準じたもので、「ワルプルギスの夜」というヨーロッパの伝統行事(おおむね5月頃)に引っ掛けて書かれている。この行事では大きなかがり火が焚かれることが多く、そのために「薪」や「炎」という単語が出現する。また、元の歌詞とアルバム版の歌詞では、戦争を起こした人間たちを裁くのが「魔女たち」から「神」へ変更されている。この変更は、デビュー当時のブラックサバスが悪魔信仰のバンドと「勘違い」されていた事とも関連があるだろう。ブラックサバスは当時、聴衆によって自分たちに付けられた悪魔信仰、魔女崇拝のイメージを払拭しようとしていた。実際にはそんな信仰をしていないにも関わらず、聴衆の思い込みによって様々な嫌がらせや、追放運動をされていたからである。

 歌が終わるとメインリフ+αが一度流れ、4番目のリフが出現する。リフ4はリフ2の変形で、同じく跳躍を特徴とするが、「ギターのブレイク~3人のユニゾン」を4回繰り返し、その後に伴奏が入ることによって、同じメロディが連続するだけのリフへ「縦の流れ」と「横の流れ」という変化を作っている。伴奏が入ったあとの8小節は主調。しかしその次からは4小節ごとに調が下がる(主調がe:ならばe:→d:→c:)。これはまるで高い空から何か大きなもの、つまり神や天使が降りてきている様子を表現しているようなメロディだ。

 このリフ4はいわゆるアウトロの部分にあるので、終止形さえつけてしまえば曲はここでも完結できる。しかしこの『War Pigs』で最も肝心なリフは、リフ4が終わったあとに現れる最終リフだ。

 

【最終リフ~アウトロ】

 リフ4がドラムのフィルインによって掻き消えた後、曲調は突然、8小節もの大きなフレーズを持つ、抒情的で疾走感のあるメロディへ展開する。この最終リフへ至るまで、スタジオ版では既に6分半が経過。繰り返される短く単純なリフと不協和音、過激な歌詞によって緊迫した精神が、ここにきて一気に開放されるのである。

 バロック音楽における十字架音程に似た音型のフレーズは、死者への弔いの歌のようで、実際に近年のライブでは観客が声を張り上げてこのメロディを歌っている(本来はヴォーカルが入る部分ではない)。リフは4回繰り返されるが、前半の2回と後半の2回の間に短いギターソロが入る。このソロの合間も観客は声を上げて煽り続けるのが通例で、リフを歌ったり、ギタリストがソロを演奏している間にも合いの手を入れたりする行為は、他のバンドのライブではあまりみられない。こちらのソロでもベースとドラムは激しく動き回っており、バンド側のイメージとしては「ギターソロ」ではなく「ディキシー」なのかもしれない。

 観客とバンドが一体となった「鎮魂歌」の後は、リフ4が適当数繰り返されて、あっさりと曲が終結する。スタジオ版ではテープが早回しになり、ピッチが上がって、最後は主和音が鳴る……という終わり方だが、ライブではピッチを上げず、ドラムが終止形を担当する。

 この最終リフはドラマチックかつカタルシスの塊のようなリフで、ファン人気が非常に高い。2017年2月に行われたブラックサバスのラストライブの映像には、このリフを聞きながら泣き崩れる女性ファンの姿がある。1970年というデビューの年から演奏され続けた曲なのだから、ファンの思いが強いのは当然だ。しかしこのリフには確実に、人を感動させる力がある。

 

  1. 総括

 この『War Pigs』という曲は、ファン以外にはあまり有名な曲ではない。ブラックサバスと言えば『Paranoid』か『Iron Man』、そういう観衆が多いだろう。しかし熱心なファンは大概この曲を推す。それはこの曲が、ブラックサバスの良い部分が十分に発揮された曲だからである。秀逸なリフ、悪魔的なギター、怪しげなベース、暴れ回るドラム、そしてダイレクトに感情が伝わってくるヴォーカル。これこそがブラックサバスの音楽のすべてであり、そして彼らの持つメッセージのすべてである。

 1960~70年代という時代において、ブラックサバスは異質な存在だった。愛と平和を歌うヒッピーブームの最中に突然現れた、黒髭に長髪の異様な風体の4人組。音楽は陰鬱で重く、歌詞は意味不明でホラー映画の一幕のよう。ヴォーカルの落ち着きの無さや言動は明らかに何らかの障害があると思われ、ギタリストは義指を使っているし、ベースとドラムはどう見ても麻薬の常習者。それがブラックサバスの姿だった。彼らの出発点は「明日の飯にありつくこと」という素朴なものであったが、浮かれた時代に疑問を持つ聴衆は彼らのようなアンチ・ヒッピーのバンドを欲していた。そしてブラックサバスは、メタルの始祖として神格化された。メンバーは自分たちが神格化されている事にずっと疑問を抱いているようだが、時代のことを考えれば当然なのだ。ただまあ、「あなたはメタルが存在する理由そのものだ」というような褒め方をされては、アイオミも困惑して当然だと思う。

 と、ここまで書いて「そういえばトニー・アイオミはこの曲についてどう思っているのかな」と考えた私は彼の自著を開いた。何故最初からこの本を開かないのかといえば、「ドーン、ドーン、ドーン、これだ! 曲が出来た! すごい!」という程度のことしか書かれていないからである。そして実際、『War Pigs』に関しても特に何も書かれていなかった。とりあえずギーザーは凄い。そんな所だった。これだからブラックサバスは良い。

 どんなに緻密に作られているように見える曲でも、実際のところはどうなのか、それは誰にもわからない。意図されていない部分をさも意図されているかのように他者へ押し付けることはあまり好きではない。しかし、聴いて「凄い」曲は大概、楽典的、和声的にも「凄い」のだ。分析して得られるものは何かと問われると苦しいところだが、どうして「凄い」のかという問いには、きっと答えられるようになるだろう。

 ただし、「ミュージシャンもこう考えて作っていたはず」という思い込みは厳禁だ、と私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考音源等

Black Sabbath - "War Pigs" Live Paris 1970

https://youtu.be/K3b6SGoN6dA

ファンの中で名演と呼ばれる初期の演奏。珍しくオジーが音を外していない。スタジオ版はドラムに不満があるが、この演奏では実に素晴らしい乱れ打ちを聴かせてくれる。しかしデビュー当時のアイオミは見た目がとにかく怖い。

 

Black Sabbath "War Pigs" Live at Ozzfest 2005

https://youtu.be/9ssDXiMLX9o

2005年の映像。途中でオジーが尻を見せる。冒頭でサイレンが鳴り、よくわからないオジーの煽りを聞くことができる。ドラムにややミスが多いものの、ベースとギターは相変わらずの強力さだ。このライブを最後にビル・ワードはサバスと合流していない。

 

Black Sabbath - "War Pigs" from 'The End'

https://youtu.be/zY5nYmTUfnQ

最終公演での演奏。シャウトは音を外すため、観客が歌う。音を7割外していても観客が怒らないヴォーカリストなどオジー・オズボーンくらいのものである。このライブでは何故か真ん中にこの曲が置かれ、各方面から疑問の声が上がった。

クイーン+アダム・ランバート ライブのススメ

クイーンが来る。
アダム・ランバートと一緒に来る。
昭和に生まれたバンドが、平成に社会現象を巻き起こし、令和に来日する。
令和元日(?)からチケットの販売が始まり、令和になってから初めてのお正月が明けたら、間も無くミュージシャンやスタッフたちが日本に来る。
それってめちゃめちゃ面白くない?


今日び珍しく「ロックは不良の音楽だ」「エレキギターは耳を壊す」としてライブ禁止令があった高校出身の私が初めて行ったロックコンサートは、2016年のクイーン+アダム・ランバート来日公演だった。これはもう生涯の自慢である。初ライブがクイーン。あ、ちなみにその頃には大学生になってたから、校則違反はしていない。

2世ファンでもなく、ロックを聴き始めて僅か数ヶ月。チケットを申し込んだ瞬間は妙な罪悪感に苛まれ、ライブ前日は変に緊張して眠れなかった。2016年9月22日の日本武道館周辺は肌寒く、小雨も降っていた。物販列に並んでいたら車に乗ったブライアン・メイが通りかかり、手を振ってくれた。車もデカかったが、胸から上だけで助手席の窓いっぱいになるブライアンのサイズ感にビビった。


自分の席に知らないおじさんが座ってたというアクシデントこそあったが(席を間違えたらしい)、ショウは的確な形容詞が見つからないレベルだった。演奏は当たり前のように上手いし、照明演出は「これ電気代いくらかかるんだろう?」と心配になる程だし。ライブってよりショウそのもの。もうなんだこりゃ、である。


さて、2020年の来日公演を半年とちょっと後に控え、私は改めてクイーン+アダム・ランバートの魅力を語りたい。そんなことしたらチケットの抽選倍率が上がる?まあいいじゃないか。抽選にすら参加しなかったことを後悔する人間の数は少ないほうが良いに決まってるんだから。


クイーン+アダム・ランバート。これを「長いバンド名」と捉えるか、「クイーンとアダム・ランバートという別の個性の融合と捉えるか、「アダム・ランバートがヴォーカルをしているクイーン」と捉えるか、「クイーン」と捉えるか、その捉え方を他人に押し付けるようなものではないと思う(という価値観を私は押し付ける)。
ただ、ブラックサバスのファンサイトを運営してる海外の方が「クイーンのライブを観に行ったけど、オリジナルメンバーではないから完全なクイーンとは言えないね」と言っていたのには全力で「お前が言うな」と反論したい。あんたらオリジナルメンバー1人しかいなくなったことあるじゃん

2011年から2012年にかけての期間で正式に活動を開始した彼らは、ド派手なステージセットをトラックに詰め込み、世界各地のスタジアムを満員にする戦闘力高めなバンドである。ひとたびツアーが始まれば、公演頻度は2日に1度。年50~70公演は当たり前。おじさまたち、攻撃力もHPもMPも高い。

メンバーは、皆さんご存知ブライアン・メイにロジャー・テイラー、ちょっぴり刺激強めなアダム・ランバートサポートには、クイーン歴35年、なんでも弾けるスパイク・エドニー(キーボード)と、ハンチング帽が渋カッコいいニール・フェアクロー(ベース)、インスタの更新頻度が高くて見てて楽しいタイラー・ウォーレン(パーカッション)がいる。ちなみに全員歌えるので、コーラスの厚みは進化傾向である。


セクシー&ファビュラスなアダム・ランバートは若くエネルギッシュな青年だが、37歳なので、ブライアンやロジャーと同じく昭和生まれだ。オーディション番組から発掘された彼の歌手としての特徴は広い声域で、どの音域でも伸びがよく、声量がたっぷりと持続する。また、彼は強靭な喉の持ち主であるから、長期のツアーでも歌唱力は安定している。


若干の「イロモノ」臭がすると評価されることがあるアダムだが、それは半分間違いで、半分正解だ。彼のパフォーマンスは清純無垢なタイプではなく、マイクを持っていない方の手の定位置は股間というくらいにはアブない。
だが、煌びやかな衣装を纏い、バキッとしたハイヒールを踏み鳴らして花道を歩く様は「女王様」の名にこれ以上なくよく似合う。マスカラに彩られたあの睫毛の長い瞳にひと睨みされてみろ。誰だってイチコロのキラークイーンだ。


当然それだけではない。アダム・ランバートはセクシー&デンジャラスなビジュアルとパフォーマンスのインパクトを忘れさせるほどの、超実力派シンガーである。ワンフレーズ口ずさむだけで会場の空気をガラリと変え、観客の熱狂を喚び起す、そんな天性の才能が彼にはある。
それはフレディ・マーキュリーと同種の才能だ。単なる美声や歌唱力、声量だけではクイーンに負けてしまう。「それ以上」があったからこそ、アダム・ランバートはクイーンとともに歌えるのだ。吸引力のある歌声に惹きつけられ、熱狂の渦の中へ落ちていく感動を、ぜひ会場で味わっていただきたい。


70歳を過ぎたロジャー・テイラーとブライアン・メイの演奏がガタついてないか心配だって?心配ご無用。文句なしだから。たまに「ブライアンのタッピングが怪しい」という意見を聞くが、彼タッピングもともとそんなめっちや得意ってわけでもないです。


品良くしかしエネルギッシュなロジャー・テイラーのドラムは、青年期に見られた挑戦的な空気が控えられ、より洗練され、より優雅になっている。体力勝負なドラムだが、疲れも年齢も感じさせない腕前は職人技だ。
例年通りならば、ロジャーは何曲かヴォーカルも務めている。ハスキーで音域の広い歌声は昔のままだが、ヴォーカルスタイルは丁寧で落ち着いている。歳をとってからタトゥーを入れるイケイケおじさんに見えて、実のところはどこまでも品が良いのだ、この男。


足元が危なっかしいブライアン・メイは相変わらずあんな感じで、抜群の安心感がある。超外交的で若いバンドとの交流を積極的に続けてきたブライアンのギターは、ロックの歴史を濃縮したような仕上がりになってきた。ギターソロは決して超絶技巧ではないが、優しい音色と浮遊感に包まれる幸福な時間を味わえる。
そういや、ブライアンの声はか細い印象がある方も多いだろうが、よく考えれば彼、コージーパウエルのドラムをバックに歌いまくってたわけで、生で聴くと声量がバリバリにある。その辺りにも注目してほしい。


MCが英語で不安でも大丈夫だ。アダム・ランバートの英語はちょっとだけ早口、かつマイクにエコーがかかってて聞き取りにくいが、そんなに難しいことは言っていないから落ち着いて聞けば良い。
ブライアン・メイは、さすがは博士というか。簡単な語彙を選んでくれて、更にはとってもゆっくり喋ってくれるし、MCの半分くらいは日本語だから、こちらの語学力が中学英語レベルでも、内容が90%わかる。
もちろん、これを機に英語を学ぶことは最高のきっかけだ。しかし、学んでいなくても恐れることはない。言語の壁なんて、女王陛下の前には存在しない。
ちなみにロジャーはあまりたくさん喋らない。渋いぜ。



さて、そんなクイーン+アダム・ランバートの最大の魅力は、ド派手な舞台演出とともに繰り出される世界最強セットリスト(曲目)だ。


QALの舞台は、とにかく豪華絢爛である。舞台を覆う巨大幕だとか、特製の巨大スクリーンだとか、スモークだとか、レーザービームだとか。マジで1公演でいくらかかるんだアレ。ミラーボールがニョキニョキ伸びてくるときなんて、演出が派手すぎてもはや舞台が見えなくなっちゃう。アイラブミラーボール。ウィーラブミラーボール。


空中ブランコとかサンバのダンサーとかが出てきても全く違和感が無い派手さ。もちろん空中ブランコもサンバも無いが、この間は地面からロボットの頭がズモモモモと生えてきた。面白すぎる。


エンターテイメント性の増した楽曲解釈も楽しい。早くなったり遅くなったり、映像が差し込まれたり、ヴォーカルが変わったり。特に『Killer Queen』なんかは、ミュージカル系歌手の本領を発揮したケレン味たっぷりなアダムの演技と歌唱が楽しめるということで大人気だ。
豪華なソファに寝転がり、長い睫毛をパシパシさせて扇子をせわしなく煽るアダム・ランバートは色気ムンムン。そんなふうに演技をしながらも、歌声はブレないんだからおっそろしい。


演奏される曲に関して、これだけは伝えたい。クイーンのセットリストは世界最強だ。大ヒット曲だけで緩急のある20数曲のセットリストを組める現役バンドはそうそういない。しかも映画が大ヒットしたおかげで、「予習?映画観とけ!」ってレベルにまでなった。世界最強どころか史上最強である。

もしもあなたが「ライブ行くから予習しとこう」というタイプならば、フレディ存命中に2枚出ている公式ベスト盤を聴いておけば大丈夫だ。世界中で大ヒットした曲が中心の「1」より、後期の秀作中心の「2」のほうが、「予習」としては良い。
今年のツアーはまだセットリストが出ていないが、映画のヒットを受けて、映画のサントラの収録曲が多く演奏されるという予想はできる。ひとまず、予習をしたいならば、映画のサントラを含むベスト盤を聴こう。夏頃にツアーが始まったらすぐにセットリストが回ってくるから、予習はそれからでも良い。

活動年数が長いバンドになると、権利関係や脱退したメンバーの意向などで「演奏できないヒット曲」ができてしまう事がある。しかしクイーンのセットリストにおいて、そういう心配は無い。名曲たちを思う存分楽しもう。


気になる観客のノリには、気をつけたほうがいいポイントがある。


クイーンの観客は、「非常によく歌う」。よく「お前の歌を聴きに来たんじゃない!アーティストの歌を聴きに来たんだ!」という話があるが、クイーンやQALにおいては、観客が歌うノリが「正しい」。歌うこと推奨、応援上映スタイルである。
どうしてそういう習慣が生まれたのかはよくわからないが、どの国でもとにかくみんなよく歌っている。ちなみに、歌声があまりに小さいと「ノリが悪い」と判断される。
ただし当然、デカい声で歌えばいいという話でもない。常識と良識の範囲内で口ずさみ、観客席へマイクを向けられたら全力で声を出すことはQALにおいて正しいが、「どのタイミングでも常に熱唱」は推奨されていない。バンドも、あまりに観客が大声を出しすぎている公演の音源をお蔵入りにしたりしてる。まあ静かすぎてもお蔵入りにしてるから、その辺りは適度に、だ。


なお、QALにおいては「観客が歌う」曲がある。ひとつは『Love Of My Life』。これは歌詞を全部覚えておいたほうがいい。そして、『手をとりあって』。これも日本語歌詞部分だけではなく、英語部分も覚えといたほうが楽しい。

注意が必要な点として、『Somebody To Love』の最後の方、アカペラになる部分(3:48辺りの所。映画だと、冒頭でウェンブリーの観客がカメラいっぱいに映し出される場面)は、「Somebody To」までがアダム、「Love」が観客、という無茶振りをされることがある。これがめちゃめちゃ難しい。
成功確率があまり高くない所だから、今回は無茶振りされないかもしれないが、無茶振りされる可能性を考えて、アダムが何か手振りや指揮をしていたら、注目しよう。確か3年前は失敗した。

今回セトリに入るかはわからないが、『'39』も、観客がサビを歌う曲だ。これが入ったら私は転げ回って喜ぶが、近年はあまり演奏されていない印象がある。この曲に関してはサビだけ歌えればなんとか問題無い。


それだけ押さえていれば、恐ることは何も無い。たまに否定的なファンはQALを「フレディの法事」と言うが、QALはむしろ、最高のヴォーカリストと最高のバンドとともに、最高の楽曲を全身で楽しむ「祝祭」だ。そして、肉体はそこにいなくても、フレディとジョンの存在は確かにそこにある。QALの公演は、それが感じられる、素晴らしい公演である。

初心者も玄人も大歓迎、ただし時期が時期なので、インフルエンザ等にはご用心。さあ、あとはお席がご用意されていることを祈るのみだ。
さて、あなたに、人生を変えるような素晴らしい音楽体験が訪れますように。

たまについての話 第三夜 たまの音楽性

※大1の頃に書いたレポート、まとめのとこ。

 

 『たま』は1990年のメジャーデビューから程なくしてヒットチャートから姿を消し、自主レーベル地球レコードを立ち上げ、インディーズでの活動を中心に行なうようになった。何故『たま』の人気が長く大衆的に続かなかったのか。また、何故『たま』は高い演奏能力と柔軟な音楽性を持ちつつもメジャーレーベルでの成功にこだわらなかったのか。

 

『たま』の代表曲は、言わずと知れた『さよなら人類(柳原)』である。これは歌詞においても楽曲構成においても、日本のヒットチャートの中では異質で怪しげな曲だが、『たま』のオリジナルアルバムをひとつでも通して聞けば、『さよなら人類』がいかに『たま』の楽曲の中で明るく、ポップスらしいかがわかる。『さよなら人類』は『たま』の中では珍しい、毒気の薄い曲なのだ。

 『たま』の大衆的人気が長続きしなかった理由は、ヒットしてライトなファンが増えたあとにも、『たま』がアンダーグラウンド志向を変えなかったことにある。1990年12月、グローブ座で行われたライブのセットリストをを見るとそれは顕著だ。このライブで演奏されたのは『さよなら人類』を含めた15曲。ライブの丁度中盤には、身体障害者に対する揶揄や怪奇趣味が露骨に表現され、放送禁止用語が含まれる『カニバル(石川)』が演奏されている。この曲は『たま』の中でもかなり過激で、アンダーグラウンド志向が強い曲だ。『たま』をコミックバンドだととらえ、『さよなら人類』のようなポップナンバーを求めてライブに参加したライトなファンは、そのポップなイメージと、テレビが放送できない『たま』本来の姿のギャップに、次第に離れて行った。

 

 『たま』は本来、かなりアンダーグラウンド色の強いバンドである。1989年発表のカセット『たまてばこ(自主制作)』には『三宅裕司いかすバンド天国』でも演奏された『らんちう(知久)』を含む4曲が収録されているが、この中で放送禁止用語や問題になりかねない単語を一切含まないのは『海に映る月(滝本)』のみだ。その後メジャーで発売されたものとはアレンジの違う『らんちう』は中間部の語りに【ぼくのさびしい記憶に/ふしぎの注射をしてください/いじらしいいびつな形の心臓に/やさしいあんまをかけてください】という意味深が過ぎるワードがあり、続く『夏のお皿はよく割れる(石川)』は、冒頭僅か5秒で【となり部落の/ライ病患者】と放送禁止用語を2つも歌う。4曲めの『マンモウ開拓団(柳原)』は放送禁止用語こそ無いが、曲中でひたすらに繰り返される「マンモウ、マンモウ、マンモウ……」というコーラスが、女性器の俗称に聞こえてくる(歌詞の全体を見ると史実の満蒙開拓団をイメージした歌ではないとわかり、石川の【俺達は下品なことが大好きなマンモウ開拓団じゃい】という台詞が入ることから、意図的なものと思われる)。

 

 この他にも『たま』には数多くの放送禁止用語が用いられた曲がある。

・『ねむけざましのうた(知久)』――【やがて鼻水はびっこを引き/駐車場に咲きます】(「びっこ」を「糸」に書き換えて東芝EMIから発売された『犬の約束』に収録)

・『おおホーリーナイト(知久)』――【つんぼのひとも/めくらのひとも】(ライブ等では「偉くないひとも/ずるくないひとも」に歌い換え)

・『お昼の二時に(石川)』――【黒いクロマティにおんぶされて/南の農場にほらほら/連れ去られる】(DVDでは「クロマティ」と、その後のコーラス「クロンボ」に規制音。一方3番冒頭の「オナニーしてたら」に規制は無し)

・『猫をならべて(柳原)』――【どんどん伸びて/支那の果てまで】

・『東京パピー(石川)』――【バーサンコーラを飲んでいる/おしの言葉で喋るんだ】

 

 また、この他にも『あたまのふくれたこどもたち(知久)』の歌詞は新興宗教の信者を歌ったものであり、これが問題視され、インディーズからの発売を余儀なくされた。また、『ひるね(1991)』に収録された『牛小屋(柳原)』には、曲中に「よんよこ……」というスキャットがあるが、この「よん(四)」という響きが屠殺業を連想させるとして、歌詞カードにスキャット部分が記載されていない。

 

このように『たま』の音楽性は、歌詞の方面からTVやラジオというメディアに合わなかった。日本のみならず、どの国でもアーティストが名を売るためにはTVやラジオでの宣伝が不可欠である。だが『たま』は、放送コードの関係で放送できない曲があまりに多いのだ。仮に危険な曲を避けて放送したとしても、ライブでは放送禁止用語が連発する。それでは売れようがないのである。

 

そもそも『たま』は当初からプロ志向であるものの、メジャーで売れようという心意気が薄いバンドだった。プロを目指すアマチュアバンドの場合、一曲でもヒットが出れば大衆の好みに曲調や歌詞を合わせるものである。英国のロックバンドQUEEN(1973-)が世界的にヒットしたのはまさにこの方法を用いたからだ。彼らは当初、幻想性の高い混沌とした世界観を歌っていたが、『Bohemian Rhapsody(1975、EMIより発売)』のヒット後、より大衆に広く受け入れられる現実的な歌詞と、直情的な曲構成を取り入れ、いかにもなグラムロックからスタジアム・ロックのバンドへと変容していった。QUEENは商業的成功のために初期の音楽性と高い演奏技術の誇示を捨てたのである。当然QUEENの商業主義の姿勢は批判されることもあるが、結果として3億枚以上売り上げているのだから大成功という他ないだろう。

 

だが、『たま』はQUEENにならなかった。『さよなら人類』がヒットしても、『たま』は当初のアングラな音楽性を一切崩さず、売れ線を意識しなかったのだ。結果として『たま』は『さよなら人類』以降たいしたヒットを出していないが、それで解散したりなどはせず、19年間活動を続けた。これは商業主義への反抗というより、自分たちの表現したいものがメジャーではできないことを知っていての行動に思える。だからこそ『たま』は自らインディーズレーベルを立ち上げ、自らの表現したい音楽を、思う存分に表現したのだ。

 

  1. 柳原陽一郎脱退後

 1995年末のライブを後に、キーボードの柳原陽一郎が脱退。以降『たま』はメンバーの入れ替えではなくサポートメンバーを入れる形で、3ピースのバンドとして活動を継続した。キーボードが脱退した事による音の厚さの問題を解決するために、1995年以降の『たま』の楽曲は打ち込みやシンセサイザーエフェクターが多用されるようになる。2001年マキシシングル『汽車には誰も乗っていない』収録『電車かもしれない(知久)』は知久の弾き語りのバックに電子音やSE、打ち込みの打楽器などを追加して作られており、後期の『たま』を象徴する曲だ。

 

その一方で、『たま』は更に構成を小さくした「しょぼたま」という形でもアルバムを出したり、ライブを行ったりしている。これはパーカッションセットを最小限にし、滝本は鍵盤ハーモニカを吹き、知久がミニギターやウクレレに持ち替えた、サポートメンバーを入れない最小限の形だ。

 

鍋や桶、タンバリン、鍵盤ハーモニカ、ミニギター、ウクレレ。これらは最も初歩的な部類の楽器であり、これらだけを用いた3ピースのバンドで2時間近いセットリストを組むなどなかなか通常では考えづらい。これは時代を追うごとに打ち込みや電子楽器が生きたミュージシャンを圧迫し、しかし肥大していく日本のポップスへの皮肉ともとれる。

 

 また、「生楽器」での「生演奏」にこだわる姿勢を見せることは、口パクや録音を流すことが基本の現代日本の音楽業界に対するアンチテーゼである。石川は『たま』がテレビ朝日の音楽番組に出演した際、同日に演奏する他のミュージシャンが全員生演奏ではなかったことを後のインタビューや著書の『「たま」という船に乗っていた(2004 ぴあ株式会社。現在は本人WEBサイトで全文公開)』等で明かしている。その番組では演奏の際に知久のアンプから音が鳴らないトラブルがあり、知久はコーラス用のマイクにギターのホールを近づけて音を拾わせ、何とか演奏を乗り切った。通常ならばこのようなトラブルは仕切り直して当然だが、生演奏が一組だけであったために対応しきれず、奇妙な姿勢でギターを弾く知久の姿はそのまま放送されてしまった。

 石川の著書には、その後知久が「受け狙いで変な恰好で演奏したの?」と訊ねられたことが記されている。同書には口パクに対する石川の考えとして、次のようなことが語られている。

「激しく踊りながら歌うアイドルグループなどは、いわゆる「口パク」で全然かまわないと思う。(中略)アイドルは「音楽」を売るのではなくて(中略)「夢」を売るのが仕事の本筋だ」

「ただバンドとかで「音楽の実力」とかで売っている人達がそれをやったら駄目だろー。(中略)俺はそれは相当格好悪い事だと思うけどなー。」

 この記述はまさしく、『たま』がマスコミに囃し立てられたキャラクター性ではなく、音楽性一本で勝負をしていた(そしてそれが大衆に理解されなかった)ことの表れであるように思う。

 

 

 

  1. まとめ

 以上のことを総括して、『たま』の音楽は何に抵抗していたのか。奇抜なキャラクター性からコミックバンドと世間に認知された『たま』の本来の姿は、やや危険でアンダーグラウンドな、高い演奏技術と洗練された音楽性を持ち味にしたバンドだ。彼らは「日常の中に存在する音や誰もが幼少期に聴いた・演奏した楽器を使用」し、「幼い頃に見ていた世界そのものの感覚を歌詞で表現」する事によって、肥大する音楽と、子供であることが許されない現実世界に抵抗したのである。

 

現実世界への抵抗の対象は政府や社会体制に向けられ、攻撃的な歌詞で表現されることが多い。尾崎豊の『15の夜』や『卒業』はまさにこの例だ。古くなれば、英国でThe Sex Pistolsが露骨に反社会的な歌詞を歌っている。だが、『たま』の音楽は反政府的でも、反体制的でも、攻撃的でもない。なぜならば、『たま』が抵抗したのは「現実社会」ではなく「現実世界」であるからだ。

 

先進国のみならず、この世界で人間として生活していくのには、誰しもが「大人」にならなければいけない。現実世界の求める「大人」の像は、考えがはっきりしていて、空想の世界に閉じこもらない、論理的な思考と生活能力、そしてしっかりしたコミュニケーション能力を持つ者である。考えがはっきりせず、空想の世界に閉じこもる、支離滅裂な思考を持つ者は「大人」とはみなされず、ともすれば社会からの排除の対象となる。しかし人間は誰しもが自分だけの内的な世界や、子供の頃の記憶や夢を持っている。それを表に出す事が許されない現実世界に、『たま』は幼少期に奏でた楽器を使うことと、支離滅裂で幼児性すら感じられる歌詞を作ることで抵抗したのだ。言い換えれば『たま』の音楽は、大人になることへの抵抗の音楽なのである。

 

『たま』の歌詞は現実的なものでないため、共感できる場面などほとんど存在しない。にもかかわらず、多くのファンはその歌詞に感動の言葉を送る。それは『たま』の音楽がアーティストの内面的な世界を音楽として昇華させることで、聞き手の内面的な世界に訴えて、歌詞になる以前の「感情」自体を共有しているからである。現実世界は日々巨大化し、内面的な世界までをも脳内物質や科学という言葉で解明しようとしている。その世界に対して『たま』は、科学や理屈では決して説明し切れない精神世界の様を、人間が「生」で奏でるサウンドによって表現し、抵抗した。『たま』の音楽に対して感じる「懐かしさ」は、その抵抗の結果に生まれた副産物である。

 

 2017年の現在、人工知能の領域は芸術にまで達し、ボーカロイドを始めとした打ち込み音楽の発展は、もはやミュージシャンの演奏と区別がつかない程になっている。その社会の流れの中で、元『たま』の知久は現在も、マイクすら使わない「流し」スタイルのライブを行っている。一見してそのスタイルは穏やかな吟遊詩人のようだが、実はそれこそが『たま』の持っていた「抵抗」を、最もはっきりと表している姿なのかもしれない。

たまについての話 第ニ夜 たまの音楽性

大学1年のときに書いたたまについての話。今日は音楽と歌詞について。

 

 

 初めて『たま』の楽曲を聞いた時、多くの者はそこに懐かしさを見出すという。私はその『懐かしさ』にこそ『たま』の持つ抵抗の精神の本質があると考えるため、まずはその懐かしさの由来について、音楽的な側面から考察する。

 

 第一に、『たま』は日本国内のみならず、海外へ目を向けて比較しても、抜群に特異なサウンドを持つバンドである。それは『たま』が通常のドラムセットを用いず(パーカッションの石川はドラムが叩けないことを公言している)、バスドラムにシンバル、タンバリン、桶や鍋、そして仏具の鐘を組み合わせた独特なパーカッションセットを用いていることに由来する。その奇妙なパーカッションセットのみならず、足踏みオルガン、鍵盤ハーモニカ、リコーダー、カズー、口琴、果ては音の鳴るおもちゃ等、『たま』の使う楽器はおおよそ通常のバンドが使うとは思えないものばかりである。

 

 これらの楽器に共通するのは、全てが日常次元に存在するという点だ。足踏みオルガンや鍵盤ハーモニカ、リコーダーは学校用教材として広く音楽教育に用いられる。カズーや口琴の音色は、効果音として頻繁にTV等で聴くことができる。鍋や桶などはまさに日用品で、楽器ですらない。それらの奏でる音はどれも我々日本人の記憶のどこかに沁みついたもので、だからこそ『たま』のサウンドには懐かしさを感じるのだ。

 

 次に、楽典的な側面である。楽曲分析をしていると、『たま』の曲はほとんどが『A、B、A、B、C、A、B』という大ロンド形式に近い形式、あるいはサビ無し(総サビ)で書かれていることがわかる。これはメロディーの種類が過多にならない、非常に簡素で親しみやすい楽曲形式だ。『たま』は4人全員が作詞作曲をするために楽曲のジャンルに幅があり、滝本の曲は『A、B、サビ、A、B、サビ』という一般的なJ-POPの形式が多いという特徴があるものの、『イカ天』で演奏された5曲の内、『さよなら人類(柳原)』、『らんちう(知久)』、『ロシヤのパン(知久)』、『オゾンのダンス(柳原)』の4曲が『A、B、A、B、C、A、B』という形式で書かれている(残りの1曲『まちあわせ(石川)』は『A、B』の二部形式)。

 

 その単純な形式に加えて、『たま』の曲にはコードが4つ以下で書かれているものがかなりの数存在する。これは石川がギターのコードを最低限しか知らないために起こった事態だが、『牛小屋(柳原)』と『マンモウ開拓団(柳原)』はどちらも(飾りの不協和音などを含めなければ)ワンコードで作曲されている。ギタリストである知久の作曲は比較的複雑な進行をするが、それでも代表曲の『らんちう(知久)』のコードは4つしかない。

 この「単純さ」も当然、『たま』の持つ懐かしさの理由のひとつだ。単純構成とシンプルな和音進行は、曲を聞く者に童謡を連想させ、連鎖的に幼少期のぼんやりとした記憶を引き出す。更にその明快な地盤の上で奏でられるメロディーもどこか哀愁深い。

 

 『たま』の音楽性には、他のバンドの影響を受けているところが少ないといわれている。これは彼らが影響を受けたバンドやミュージシャンが、ビートルズを除けば無名の人物であることが大きい。だが「ビートルズに影響を受けている」と言っても、鍋と桶を使っている時点で通常のバンドとは全く違うサウンドになるのだ。事実、『たま』がビートルズを含む洋楽をカヴァーした音源などは幾つか残っているが、独自路線の訳詞と相まって、原曲とは全く違った趣になっている。

 

 

 『たま』の持つもう一つの特徴が歌詞の異様さである。

 日本の歌謡界において、歌詞は大衆的な共感性、そして現実感が重視されていることが多く、特にラブソングがヒットチャートを占める割合が高い(ただしこれは日本に限った話ではない)。一例として『さよなら人類』が4位を記録した1990年のヒット曲ランキングを見ると、1~10位までの内にラブソングが5曲、歌詞全体で非現実的な世界観を表現しているのは『さよなら人類』とヒット1位の『おどるポンポコリン(B.B.クィーンズ)』のみである。

 

 『たま』の歌詞はそのほぼ全てが幻想的で、非日常的だ。最大のヒットとなった『さよなら人類』の歌詞をみても、【今日人類がはじめて/木星についたよ】という印象的なフレーズだけではなく、【路地裏に月がおっこちて/犬の目玉は四角だよ】、【月の光にじゃまされて/あのこのかけらが見つからない】等、並ぶ言葉はまったく無秩序で、意味深ではあるが具体的な意味までは考察し切れない。

 

 『たま』の歌詞には統一性が無いように思われがちである。『たま』は4人のシンガーソングライターが集まったバンドであり、それぞれが確立した音楽性を持っている。そのため、曲ごとにかなり世界観や言語センスが異なるのだ。だがそれでも、読み込んでいけば『たま』特有の作詞の癖や傾向が見えて来る。

 

 まず、『たま』の歌詞には多くの衝撃的なフレーズや意味不明な個所がみられる。ほんの一例を挙げれば、

 

・【シベリアの風が空でこすれて/あの娘の畑に火がついた】(『はこにわ(柳原)』)

・【化石のとれそうな場所で/星空がきれいで/ぼくは君の首を/そっとしめたくなる】

 (『星を食べる(滝本)』)

・【ずぼんにしみついた/さばの缶詰の匂いが大嫌いで/みんなの待つ/公園を爆破した】

 (『きみしかいない(知久)』)

・【四角い魚を梱包すれば/ニューギニアの子供の喉が渇きます】(『東京パピー(石川)』)

 

 これらのフレーズを見るとわかるように、『たま』の歌詞のほとんどは「○○なので○○」「○○したから○○」等の短文で構成されていて、単語と単語の繋がりがはっきりしている。つまり、文法がしっかりしていて読みやすいのである。しかし、その文法の中で使用される単語や行為がどうにも突飛すぎるのだ。空気の摩擦で火事が起こるのはまだしも、星空がきれいだからといって、目の前のひとの首を絞めたくはならない。サバの缶詰の匂いが嫌いでも、公園を爆破などしない。魚を梱包したら子供の喉が渇く原理がわからないし、そもそも四角い魚とは何なのか。この突拍子もない単語や行為同士を繋ぐ明瞭な文法というアンバランスさは、まるで知りたての単語を使いたがる幼児のお喋りのようである。

 

 次に、『たま』の歌詞には具体名詞が多く登場する。「オリオンビール(『オリオンビールの唄(柳原』)」、「S&Bゴールデンカレー(『あたまのふくれたこどもたち(知久)』)」、「ペリカンせっけん(『ウララ(石川)』)」等は実際の商品名をそのまま歌詞に出した例だが、この他にも、『たま』は頻繁に地名や名詞を歌詞に用いている。

 

・【月は練馬区の方で笛吹いてた】(『ウララ』)

・【夕暮れ時のさびしさには/牛乳がよく似合います】(『夕暮れ時のさびしさに(知久)』)

・【気がつくとボクらみんな/8ミリ映写機のフィルムの中】(『夏の前日(滝本)』)

・【ヘビー級のチャンピオンがそれをみつけては/サンドバッグがわりに殴ってる】

 (『どんぶらこ(柳原)』)

 

 練馬区、牛乳、8ミリ映写機、ヘビー級のチャンピオン。これらの名詞は現実的で、1990年という時代背景において身近なものだった。その身近なものを詩中に登場させると、具体的なイメージが持ちやすくなり、歌詞の世界はより自分の近くに感じられる。「月が笛を吹いていた」というだけではただの夢物語の情景描写だが、「月が『練馬区のほうで』笛を吹いていた」となると、聞いた者に「練馬区」の街並みのイメージを想起させ、より具象性が増すのである。

 

 いくつかのインタビューで、『たま』のメンバーは「歌詞には意味がない」と語っている。それは半分事実だろう。『たま』は社会問題や現実世界を歌わない。『たま』の歌う世界は精神的、内面的な世界だ。しかしそれはまったくの夢物語というわけではなく、唐突に「練馬区」や「サバの缶詰」や「ペリカン石鹸」などが登場して、なぜか妙に現実臭い。そしてそのアンバランスさに由来して、感覚的な、正体の掴めない恐怖感が漂う。

 これは幼い子供が、自分の空想の中にのみに存在する内的な世界と、日々新しく知る現実の世界の間でふわふわと漂っている様子を思わせる。自我を持ちつつ、無知故の突飛な発想と、理由のない恐怖のある幼い子の見る世界。その幼少時代の独特な感覚を誰もが一度は持った事があるからこそ、それを想起させる『たま』の詩は懐かしさがあるのだ。

 

 『たま』の4人のメンバーの作る内で、最もアンバランスさと恐怖感が現れているのが知久の楽曲である。知久は両親が宗教へ傾倒していたことから、早くに家を出てストリートミュージシャンとして活動を始めた。知久は歌詞のテーマを「幼少期の記憶」としている事が多く、の歌詞の多くには「さびしい」「かなしい」「きらい」「死」というマイナスのワード、そして様々な「こども」が登場する。アルバム『ひるね』に収録された『かなしいずぼん(知久)』は中間部に、【日曜の夜は外に出たくない/死体になりたくない】【日曜の夜は泳げない/魚になりたくない】と歌われる部分があり(この部分の詞は歌詞カードに書かれていない)、知久が幼少期に感じていた宗教や死への恐怖感が抽象的に表現されている。

 

(第三夜に続く)

たまについての話 第一夜 たまの歴史

※大学一年生のときに書いたレポートのりかばりぃです。

 

三宅裕司いかすバンド天国(以下イカ天)』の放送が開始された1989年は、正月気分も冷めやらぬ内の昭和天皇崩御、続く平成への改号で、世の中の全体に変化への戸惑いがある年だった。徐々に崩壊を始めるバブル経済、凶悪犯罪の発生や自然災害。後に重大な事件へと発展する新興宗教の暴走や、歌謡界を代表する歌姫、美空ひばりの死。まさに日本はバブル崩壊後の『失われた20年』へ向かう真っ只中にあり、漠然とした不安が日本社会全体を包んでいた。

 

 その暗い時代において、『イカ天』の巻き起こしたバンドブームは、確実にひとつの希望であった。次々に登場する若者たちの姿はまさに日本の未来の姿そのものであり、彼らの奏でる音楽は、それまでの日本のポピュラー音楽シーンには見られないものも数多くあり。『イカ天』は1990年末の放送終了までに何十ものバンドをメジャーデビューへ導き、『BEGIN』や『人間椅子』、『カブキロックス』、『マルコシアス・バンプ』等といった俗に言う『イカ天バンド』たちは、それぞれに一時代を築いて行った。

 さて、その個性的なバンドたちの中でも一際異才を放ち、後に大ブームを巻き起こしたバンド『たま』が番組に登場したのは、1989年11月のことである。冴えない服装をした、挙動不審で、言動もやや怪しい四人組。それが『イカ天』初登場時の『たま』だった。演奏が始まる前に、このバンドが大ヒットする事を予想できた者は、果たしてどれ程いたのだろう。

 

 『たま』はその独特なスタイルと風貌、一般には代表曲がひとつしかない事からから「コミックバンド」や「一発屋」とも称される。だが、楽曲と歌詞を分析し、その特異性と日本のサブカルチャー特有の気質を照らし合わせれば、なぜ『たま』がヒットしたのか、そしてなぜ、その大衆的人気が長期間続かなかったのかが明らかになる。

 

 『たま』の歴史は1981年頃、当時19歳だった石川浩司(1961- パーカッション。以下石川)が実家を出て、高円寺のアパートに入居した時から動き出す。長渕剛吉田拓郎などの力強い音楽が世間で流行する中、石川の住むアパートの一室は、若きアングラ系アーティストの溜まり場となっていた。多い時には四畳半に10人以上が共同生活をし、それぞれに作曲をしたり、麻雀をしたりする特異な空間で、石川は当時16歳の知久寿焼(1965- ギター。以下知久)と出会う。しばらくしてライブハウスで知り合った柳原陽一郎(1962- キーボード。以下柳原)が「麻雀をやるために」その部屋を訪れ、彼らは顔見知りとなる。

 

 そして1984年、アングラ系ミュージシャンのライブシリーズ『地下生活者の夜』第25回公演に際し、石川、知久、柳原の3人は一夜限りのバンドのつもりで『かき揚げ丼』を結成。ライブ後に「この3人でもう少しやってみよう」とバンド名を『たま』とし、以降19年間続く『たま』としての活動を開始する。なお、この3人の時代に全国ツアーもしている。

 結成から2年後の1986年、柳原が解散を口にしたことで、知久がベーシストを募集。唯一の応募者であった滝本晃司(1961- ベース。以下滝本)が加入し、『たま』は4人組のバンドとなる。なおこのとき、滝本はベースの経験が皆無であった。

 その後、『たま』は若いバンドの登竜門的存在であった吉祥寺のライブハウス『曼荼羅』(現在は4つの店舗に分かれているが、当時は吉祥寺の一店舗のみ)で月例会と称する定期ライブを開始。ナゴムレコード関連のイベントにも多数出演するようになり、初のインディーズシングル『でんご』をナゴムレコードから発売。この頃にはライブの動員数は100人を超えていた。

 

 そして1989年、『たま』は当時大人気だった深夜番組、『三宅裕司いかすバンド天国』に出演。この出演に関して、当初、『たま』のメンバーは「安易に流行に乗るのはいかがなものか」と消極的であったのだが、マネージャーに勝手にデモテープを送られるという形で出演を決定、5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなる。これが『たま』にとっての大きな転換期であった。

 

 1990年、シングル『さよなら人類/らんちう』で日本クラウンからメジャーデビュー。初登場1位、年間第4位を記録する。その年には紅白歌合戦にも出場。翌年にはイギリスとフランスでレコーディングをし、CM出演やテレビドラマへの楽曲提供をする。その後インディーズレーベル有限会社たま企画室(現地球レコード)を立ち上げ、活動は海外公演にまで広がる。

 

 1995年末に柳原が脱退。以降は3ピースのバンドとして活動を継続。1996年にはTVアニメ『ちびまる子ちゃん』EDに『あっけにとられた時のうた』を提供し、メジャーレーベルに復帰する。2001年にはNHKおかあさんといっしょ』に楽曲提供。

 

 2003年、解散を発表。この解散は人気の低迷からではなく、ソロ活動への専念と「やれることは全てやった」とのメンバー共通の思いからであった。10月のラストライブの最後には、石川がトレードマークのランニングを脱ぐ演出がとられる。2017年1月現在でも、柳原を含む4人はミュージシャンとしての活動を継続しており、解散後も何度か知久、石川、滝本3人での『たま』名義のライブを行っている。

 

第二夜では、これらを踏まえた上でたまのサウンドについて解説する。

ブラックサバスの話がしたい

私は今、猛烈にブラックサバスの話がしたい。


そんなもん毎日Twitterでしているだろうと言われれば反論のしようがない。現に私は世界で1番トニー・アイオミについてツイートしており、20分毎に「アイオミ」と検索しては出てきたツイートに『いいね』している正真正銘のアホである。
不思議なのは、それでも取りこぼす情報があることだ。これについては各SNSに通知設定をしているのだが、どうも上手くいかない。私は世界で1番最初にブラックサバスの話題をキャッチしたいが、スマホの通知欄を埋め尽くすのはだいたいブライアン・メイInstagram更新通知だ。深夜3時に女子高生なみの頻度でSNSを更新する71歳には、世界中から「寝てください」というコメントが殺到する。


至極まれにアイオミのTwitter更新通知が紛れ込んでいるのだが、これもまたブライアン・メイの話題だったりして、紛らわしいことこの上ない。っていうかブライアン、アイオミのInstagramの投稿ほぼぜんぶにコメントしてる。律儀。
そういえばおふたりのツーショットにつけられたサバスのファンのコメントを意訳してみたところ、「尊い」「寿命が延びました」「生きる希望が湧きます」などという言葉が並んでいて、どこの国のオタクも似たようなことを言うんだなあと思った。


さて、私はいま、猛烈にブラックサバスの話がしたい。


なぜブラックサバスの話をしたいかといえば、その理由は明白だ。『音楽文』様へ真面目なエッセイを4つ投稿し、更にもう1本投稿用の文章を用意していて、更に学校の期末試験用に真面目なレポートを7本書き、加えて就活用の自己PR文章をいっぱいいっぱい書かされ、ついでに自己分析やら何やらに追われ、就活情報サイトからの大量のメールに頭を抱えているからである。ESって何だ。SPIって何だ。自己PRできることなんて、強いて言えば腹肉の具合がオジーオズボーンに似ていることくらいしか無い。


なんというか、とにかく自分の好きな物の話がしたいのだ。
私の通う大学の図書館には、オジー・オズボーンが歌っているブラックサバスのアルバムが、『ネヴァー・セイ・ダイ』を除いて全てある。『13』もある。しかも、紙ジャケである。これはインターネットで大学の存在を知った善意の人が、「この学校にはブラックサバスが必要だ」という言葉とともに寄贈してくれたものだそうだ。
どんな学校にブラックサバスが必要で、どんな学校には必要無いのか、その基準をぜひを問い詰めたいところだが、善意の人よ、本当にありがとうございます。ただ、借りたのは私だけだったようです。


まあ、私とサバスの出会い方は特殊である。善意の人が偶然に大学を発見し、寄贈を提案し、大学がそれを受け入れ、その大学へ私が入学していなければ、私はブラックサバスになかなか出会えなかっただろう。ただひとつ注釈を加えるとすれば、ブラックサバスというバンドの事は知っていた。知っていたと言っても「オジー・オズボーンはド変人」「トニー・アイオミは指の先を切断している」というWikipedia知識程度だったが、今から思えばそのことを知っているか知らないかで、音の聞こえ方もけっこう変わっていただろう。


音楽は知識が無くても楽しめる最大の娯楽だ。しかし、ちょっとした知識があるともっと楽しくなる娯楽でもある。特に初期のブラックサバスのような、ファンでも「癖が強くて聴きにくい」と思っているバンドだと、ただ「これめっちゃ良いから聴いてみて!」とCDを押し付けて勧めてもピンとこない人が多いわけで、それ故に本気で『布教』したければ、様々な作戦を使う必要がある。


私は常々、「みんなどうすればもっとブラックサバスを聴いてくれるのかなあ」と考えている。
何故そんな事を考えているかなんて、「21歳女子大生、好きなバンドはブラックサバス」という情報だけで察してほしい。あ、でも学校の中に4人くらいは『ピート・タウンゼントのジャンプの飛距離について』という話題だけで小一時間議論できるような友達がいます。皆様、日本の未来は明るいです。
クイーンみたいなバンドは良い。YouTube公式に何百という動画があり、莫大な資料があり、言い方は悪いが、放って置いてもファンが増える。それなのにあんな面白い映画まで作っちゃったらもう誰も止められない。まったく映画というのは制作費用が莫大にかかるものの、一発当たれば超巨大な広告媒体である。

いやあそれにしても、クイーンみたいなバンドは良いよね。『良い物を作るためならば事実や時系列を変更しても構わない』なんて、なかなかできる決断ではない。今後この手の伝記映画を作るときは是非ともその姿勢を見習ってほしい。
あ、そういえばあの映画。フレディのデビューライブのシーンで、観客のエキストラの中にトニー・アイオミとギーザー・バトラーそっくりな人がいます。まだお気づきでない方はぜひ探してみてください。ギーザーはマジでそっくりです。


だが、ブラックサバスはクイーンではないわけだ。1990年代後半に生まれ、家族がロック好きでもなく、至極普通の生活を送って来た若者がブラックサバスに出会う機会なんてそうそう無い。テレビで特集を組まれるわけでもなく、雑誌が初心者向けの企画を組むでもなく。ロックに興味が出て紆余曲折の後にたどり着く人や、『ジョジョの奇妙な冒険』を読んで聴き始める人(この層の厚さはけっこう馬鹿にならない)はいるけれど、クイーンにあるような「テレビでよく聴くこの曲のアーティストってクイーンっていうのか。聴いてみよ」系の出会いがブラックサバスにあるかと言えば、ノーコメントという他無い。

聴いてみれば「あれ? どこかで聴いたような気がする!」となるバンドではあると信じている。注意深くテレビのBGMに耳を傾けていると、週に1度くらいはサバスが流れている。ブラックサバスを全く知らない人でも、『パラノイド』や『アイアン・マン』くらいは聞き覚えがあるんじゃなかろうか。まあクイーンやビートルズは日に5度くらい流れてるけどさ。


でもって前述の通り、楽曲は聴きにくい。ディオ期以降は聴きやすいが、私が聴いてほしいのはオリジナルサバス、つまりオジー・オズボーンが歌うブラックサバスだ。オジー期のサバスは本当に癖がある。「不協和音の暴走特急」とかなんとか言われていたそうだが、最近改めて聴いて、確かに不協和音だらけでちょっと笑った。ほんと、売れるバンドって奇跡的なバランスで成り立ってる。


加えてブラックサバス、薬物のイメージが強い上に、音楽も怖ければ見た目も怖い。しかもオジーのことを調べると、コウモリを食っただの鳩を食っただのとんでもないエピソードがわんさか出てきて、とってもとっつき辛い。知人の1人など、「オジー・オズボーンってテレビに出して良い人なんですか?」ときいてきた。アメリカのお茶の間じゃ芸人扱いなのだが、まあ確かに言われてみれば彼、日本のテレビには出れない気がする。昔出てたけど。


さて、そんなブラックサバスをどう『布教』するべきか。

 

正攻法、つまりCDを押し付け、「ただ聴いて!」と言うのは、得策ではないと思う。サバスほどファーストアルバムから順に聴けば良いバンドというのも少ないが、あの伝説的なファーストアルバム、初心者向けとは到底思えない。
いや、素晴らしいアルバムだよ。本当に。選曲も良いし演奏も抜群で、サウンドバランスなんか「これぞまさしくブラック・サバス!」という感じ。煙草と工場の排気で濁ったような空気感がたまらない、いかにもな労働者階級のブルースに、怪奇小説の味付けをした名盤だ。


だが、クイーン系の美しく洗練されたサウンドに耳が慣れた人にとって、初期サバスはめちゃめちゃ聴きにくい。小細工なしの直感的ヘヴィロックは衝動と破壊力だけでできている。それが1970年の若者の心に響いたのは確かだが、今は2019年。同じように響くかといえば、微妙なところだ。


あと、ジャケットめちゃめちゃ怖い。これも地味に問題だ。水車小屋の前に不気味な女性が佇んでいるあの有名なジャケットは、アルバムの内容には合っているものの、部屋に飾っておきたくないタイプのアレだ。怖くてあんまり触りたくない。触りたくないようなジャケットデザインのアルバムを聴くハードルってめちゃめちゃ高い。始めて図書館で借りた時、司書さんもちょっと引いてた。
っていうかあのアルバムジャケット、10年ぐらい前に某匿名掲示板の「3回見たら呪われる画像スレ」で見た。ジャケットを3回見ても呪われはしなかったが、アルバムを3回聞いたらファンになったので、あながち嘘でも無いかもしれない。


では、どうするべきか。
私は他人にブラックサバスを勧めるとき、楽曲の話をしないようにしている。
可笑しいでしょう? でも、それで結構成功する。


まず話すのは、「ブラックサバスは怖くない」ということだ。
サバスのアルバムには大仰な解説や煽り文句がついているが、実際のところ、サバスは本国イギリスにおいて、非常に「愛すべきバンド」という扱いを受けている。デビュー記念日の2月13日を「サバス記念日」にしようという運動や、最近ではバンドの地元バーミンガムに『ブラックサバス橋』ができた所からも、その愛されっぷりがわかる。っていうかバーミンガム、すっごいサバス推して来る。たぶんブラックサバスの映画ができるとしたらバーミンガムがスポンサーになると思う。
サバスのライブ映像を観てみると、演奏しているメンバーも、それを観ている観客も、みんな笑顔で楽しそうにしている。あと、けっこう女性ファンが多い。サバスのファンは男性ばかりというのは、日本の音楽評論家の作ったイメージである。
ちなみに英国のサバスオタクたちには、ファーストアルバムのジャケット写真の撮影地を訪ねる定番があるらしい。


というかまあサバスって、どんなに真面目な曲でも、間奏になると真っ白い尻をぽろんと出すオジー・オズボーンがヴォーカルをやっているバンドだ。この間トニー・アイオミが「俺がソロ弾いてるときに騒ぐな」とオジーを叱り、叱られたオジーが憤慨していたが、ライブ映像を見るとアイオミの怒りはごもっともだと思う。ギターソロ中のオジーめちゃめちゃうるさい。


メンバーのヴィジュアルは怖い。確かに怖い。1970年のライブ映像には暗がりでニヤッと笑うアイオミの姿が映っているのだが、長い前髪と豊かすぎる毛量のせいで表情がほとんど見えず、闇の中にニヤニヤ笑う白い歯だけが浮かび上がっていて、もうめちゃめちゃ怖い。平素は右往左往するオジーと闇に沈むアイオミに気を取られて気付き辛いが、ギーザー・バトラーの動きも変だ。露骨に色々キマってる。

ファンは音楽につくものであるが、おっかない見た目の人がやっている音楽は大体おっかない。おっかない人がおっかなくない音楽をやっているパターンにキッスというのがいるが、あのバンドはそれも戦略である。そういう意味で、ブラックサバスは見た目通りの音楽をやっていると言える。


しかしサバスは愛すべきバンドだ。おっかない音楽が好きな人しか聴かないバンドにしてしまうのはもったいない。


実際のところ、サバスで一番クールかつ怖く見えるアイオミは、そこまで怖い人でもない。ファンの呼びかけに気取ったウィンクで返すような人だ。高所恐怖症でお化けが苦手。趣味はお散歩。犬には挨拶をせずにいられない、そんな人である。親友のブライアン・メイが隣にいるとずっとニコニコしている。フレディ・マーキュリー追悼コンサートの時のアイオミの楽しそうな雰囲気といったら無い。
対してオジー・オズボーンは、見たまんまだ。オジーの自伝を読むと、みんながイメージしていたオジー・オズボーンがまさにそこにいる。自伝を出したら「イメージが崩れた」と言われたアイオミとは正反対である。
というか自伝を読んだファンに「イメージが崩れた」って言われるアイオミ、なんだかすごく可哀想だ。確かに「このひと意外とのんびりしてるタイプだな……」とは思ったけどさ。

ビル・ワードは割と常識人だ。ズボンを履き忘れたから奥様の赤いタイツを借りてジャケット写真を撮った人を常識人と言うかはわからないが、常識人だと思う。ちなみに、救急車を見かけると「ビル用だな」と叫ぶのがブラックサバスの定番ジョークらしい。ただ実際、ビルはスタジオやライブ会場から2回救急搬送されているわけで、笑えねえジョークである。
ギーザー・バトラーはアイオミら曰く「宇宙人みたい」だそうだが、どのへんがそう言われる理由なのかはよくわからない。よくアイオミに顔を引っ掴まれている写真を見るから、多分顔の掴み心地が良いのだろう。そのくらいの事しかわからない。
彼は最近、インタビューで「部屋にサタンが遊びに来てさあ」みたいな事を言っていたが、まあギーザーが言うんだから本当なのだろう。


アイオミとオジーの自伝に描かれるサバスの若き日々は、まるでコメディ映画の世界である。裸で野外を疾走したり、ホテルの廊下で花火をぶちかましたり、レストランで店員も一緒になって料理を投げ合ったり、ビルに放火したり。個人的に好きなエピソードは、臭いがキツいらしいビル・ワードの靴に、アイオミが植物を植えた話だ。実に下らない。下らない上に意味がわからない。
お互いにイタズラを仕掛けまくった挙句、イタズラの餌食になる恐怖で全員が不眠症になる話もあった。ビルの部屋にサメを投げ込む話もあったが、動機は何だ。いや、動機なんて明白だ。「釣れたから」。それしかない。


おんぼろのバンに機材を詰め込み、あっちでライブがあると押しかけ営業へ、こっちでライブがあると押しかけ営業へ。喧嘩が起こるとアイオミが拳で治め、演奏すれば会場から女の子たちが悲鳴を上げて逃げ出し、電話ひとつかけるだけで大爆笑。現代から見れば酷い青春時代だが、それを語る当人たちの言葉は本当に楽しそうで、そんな青春を共有できる仲間の存在が羨ましくなってくる。
髭面の、楽器を持った青年たちが4人。クイーンのように知的ではなく、レッドツェッペリンの起こりのように戦略的でもなく。生と死の間の10代を謳歌したブラックサバスは、泥臭く逞しく、その音楽を磨き上げて行った。


ブラックサバスのファーストアルバムは、そんな4人の青年が、アイオミが引っ掛けた女の子の鞄を漁って食い繋ぎつつ、たったの48時間で必死に作り上げたアルバムだ。演奏は実質的にライブ録音。音から感じられる気迫が凄まじいけれど、それは限られた時間の中で、極限まで集中して作っているからである。
労働者階級の彼らは、音楽で成功しなければ一生の大半を工場のベルトコンベヤーの前で過ごす事になる。焦りと不安と、世で流行する能天気なラブソングに対する反感は、恐怖と威圧感を与える音楽へ昇華され、労働で失った指先の痛みを音に添えて、1枚のアルバムに仕上がった。純粋なラブソングなんて無い。特別な技巧も、小細工も、コーラスも無い。力強いリフと遠慮のないベース、音程が不安定な、しかしやけに表情豊かな歌声。重たく手数の多いドラム。それだけが存在する。聴き辛いことは確かだが、ブラックサバスのファーストアルバムとは、1960年代の英国という『時代』が作った、水底の濁りの具現化なのだ。社会の淀みそのものだから、聴き辛くて当然なのである。


ブラックサバスのファーストアルバム『黒い安息日』は、とても不気味なアルバムだ。ジャケット写真は怖いし、曲も薄気味悪く、正体がわかりにくい。しかしその恐ろしい音楽の裏には、イタズラ好きな4人の青年の輝ける青春と、未来に賭けた希望そのものが詰まっている。
もしあなたがこのアルバムを「初めて聴く」という贅沢な体験をこれからするならば、仕上がったアルバムを手に取った若きバンドの面々の「凄いものを作ったぞ」という純粋な喜びを、原始的な恐怖に塗れたサウンドのどこかに感じてほしい。


聴くならばできれば深夜だ。深夜、家族が寝静まった頃。イヤホンをそっと耳につけ、布団に潜って聴くと良い。上等な機材でレコードを再生する必要なんてない。彼らの生きた時代、彼らの青春、瓦礫とホコリと工場の煙に塗れた工業都市の、どんよりと曇った風景。そんなものを想いながら目を閉じて、大きな音で聴いてほしい。細微な音の絡み合いと、このメンバーでしか作り上げることができない不思議なサウンド。小細工のない瑞々しい録音は、きっとあなたを1970年代のバーミンガムへ連れて行ってくれる。


さて、何の関係があるかはわからないが、最近「クイーンの影響でブラックサバスを聴き始めた人」というのをちらほら見かける。クイーン人気が高まったタイミングでアイオミがインスタグラムにアカウントを新設し、その投稿第一弾がブライアン・メイとのツーショットだったことは大きな影響力があったことだろう。

あのアカウント、現在はスタッフが手を加えているようだが、ごく初期は自撮りっぽい絶妙なアイコンで、なぜかブライアンのファンの一般人をフォローしてたりもした。ちなみにファンは「これブライアンメイ観察用アカウントなんじゃないか?」と冗談を言っているが、インスタグラムを始めたのは十中八九ブライアンに勧められたからだと思う。
海の向こうの素敵なおじさまたちが仲良くスマホを弄っている様子なんて、彼らがロックスターであることを考えずとも、なんだか心が和む話ではないか。


アイオミとブライアン・メイの共作は何年か前から噂になっており、この間のアイオミのツイートを見るに、実際に作業はしているようだ。それが世に出るころには、ライナーノーツの端っこにコメントを書けるくらいのライターになりたい。
そんなことを考えながらアイオミのTwitterのコメント欄を眺めていたら、「おふたりのコラボだと『ブラック・クイーン』になるの?『クイーンズ・サバス』になるの?」というコメントが幾つもあった。
どこの国のオタクも、似たような事を考えるものである。


余談だが、インターネット上には「トニー・アイオミが、サンタ帽をかぶったデカい犬を撫でつつ、カメラに向かってクリスマスメッセージを喋る動画」というものがある。ブラックサバスに怖いイメージしか無いという人は是非ともこの動画を見て癒され、サバスの演奏も楽しんでほしい。